1000年以上守り続けた美しさ。世界遺産登録を目指す「阿蘇」の雄大な景観保護にデータ活用検討!
阿蘇山の景観維持に衛星データが利用できるのではないか?という情報を得た宙畑編集部は、阿蘇の世界遺産登録や維持管理に詳しい熊本県庁の3名に話を伺いました。
屋久島、白神山地に厳島神社…日本にはこれからも守り続けたい美しい景観を持つ世界自然遺産・文化遺産が数多く存在します。そして、美しい草原が見渡す限り広がる熊本・阿蘇も、世界遺産登録を目指して保全活動が積極的に行われている場所のひとつです。
その広さはなんと22,000ヘクタール(東京ディズニーリゾート110個分)ととても広大で、『日本書紀』で「野が広く遠く広がっていた」という記述があることから分かるように、1000年以上にわたってその美しい景観は守られてきました。
ところで、22,000ヘクタールもの阿蘇の草原の維持管理ってどうやって行われているのでしょうか? 宇宙から地上の状態を広範囲に把握でき衛星データを使えば、維持管理のお手伝いができるのでは?その疑問について、阿蘇の世界遺産登録を目指す熊本県庁の3名に、熊本出身の宙畑編集長、中村が話をうかがいました。
今回、取材にてお話いただいたのは以下3名の方々です。
・熊本県文化企画・世界遺産推進課 世界遺産推進班 主幹 伊津野 博子様
・熊本県文化企画・世界遺産推進課 世界遺産推進班 参事(学芸員)福田 匡朗様
・熊本県地域振興課 県北・天草班 主事 成瀬 倭寿様
(1)世界遺産になるために必要なことって?阿蘇が世界遺産を目指す経緯は
福田:私は今、阿蘇を世界遺産に登録するための事業をやっていますが、学術研究を主な業務としています。
中村:学術研究というのは、具体的にはどういった業務でしょうか?
福田:今年は「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の登録がありました。世界遺産になるためにはユネスコに世界遺産センターというのがあり、最終的には、日本国政府から国内推薦書をユネスコに提出します。まだ阿蘇はその推薦書を作成するフェーズまでは至っていません。
歴史的にどういう場所なのか、地理的にどういう場所なのとか、学術用語で言えば ”Outstanding Universal Value” という「顕著な普遍的価値」を、世界遺産になるためには、国内外にちゃんと説明する必要があります。
例えば、阿蘇は火山があるということは知られていますが、その周辺も含めると6~7万人もの人が住んでおり、どういう経緯があって今まで人が住んできたとか、日本でもまだ広くは知られていません。
世界的に見ても同様で、火山だということは知られているかもしれませんが、「阿蘇の価値は何ですか?」ということにちゃんと答えられるように、世界遺産を専門にされている大学の先生達と一緒にお仕事をしながら、今は推薦に持っていけるよう、何とか準備を進めている段階になります。
中村:私が調べた限りですが、平成19年に世界遺産登録の暫定一覧表(国内の候補リスト)までもう一歩のⅠaといった基準に選ばれたという話だったと思いますが、この文化企画・世界遺産推進課というのはその後にできたような課になるのでしょうか?
伊津野:その後ですね。「阿蘇を世界遺産に」というお話が元々、何故出てきたか、最初は、平成15年に環境省で、日本の中で自然遺産になりそうな所を検討されました。その時、日本ではまだ自然遺産というのは少なかったと思うのですが、実は、阿蘇は「どこを自然遺産に」という候補の一つになっていたのです。
ただ、阿蘇は放牧とか野焼きとかあり、先程福田も言いましたように、阿蘇山近辺には多くの人が住んでいるので、ちょっとこれは自然遺産じゃないよねという話で見送られた経緯があります。
その後、平成19年に「文化遺産ではどうか」と、文化庁に提案をした所、また課題がいっぱいあるということで、文化遺産まであと少しということでⅠaという評価になったということです。
(2)世界遺産になるためにどんな課題があるの?価値の研究と保全の難しさ
中村:Ⅰaになった後、文化遺産に登録するためにはどのようなハードルがあると考え、現在まで活動されているのでしょうか?
伊津野:1番の課題は、世界遺産になるには、すごく価値があるということも大事ですが、ちゃんと保護されていることが重要です。
具体的にどういうことかと言うと、国立公園の特別保護地区や特別地域、文化財保護法では、例えば史跡とか名勝とか、天然記念物とか、重要文化的景観とか、いろいろとカテゴリーがあります。それらの指定を受けている地域は、保護されている地域ということでもあります。「そういう保護措置もなされていないのに、世界遺産になろうとしているのは難しい」という課題がまず存在しています。
また、世界遺産に登録するならば、世界的に見ても唯一無二ということも重要です。世界を見渡して、阿蘇山と同じように、カルデラの中に人が住んでいるような所があるのか、同じような農業をしている所があるのか、「世界的な唯一無二という研究はしたのですか?」といった観点で当時はⅠaという評価になったと把握し、活動を続けています。
宙畑メモ カルデラ
火山の活動によってできた大きなくぼみの土地。阿蘇のカルデラは世界最大級で、南北24km、東西18kmに広がっています。
福田:世界最大級のカルデラを持つ世界遺産というのは、日本はもちろんですが、世界でもそうそうあるものではないし、人がこんなに住んでいるカルデラも、人口密度という点では他にそうありません。広いが故に、どのように景観を保存していくか、非常に面白い地域でもありますし、難しい地域だなと常々思っている所です。
中村:人が住んでいるから難しいとはどういうことでしょうか?
伊津野:知床などは広くても人は住んでいないし、富士山とかもパッと見は広いですけど、標高が高い所には人が住んでいませんよね。
一方で、人が住んでいる阿蘇の場合は、開発はNGとなると逆に人が住めないということになるし、どこまでの開発をして良いのか、検討や保護をどうするのかという点も、乗り越えなければならないハードルかなと思っています。
福田:実際に人が住んでいる所では、様々な開発も現在進行形で進んでいます。そのため、世界遺産としての価値を損なわないようにして欲しいということは、いろいろな立場の人から言われることです。
伊津野:また、人と共存しているということは、阿蘇固有の価値でもあります。私たちも学術委員会という会議体を作っており、様々な大学の先生や世界遺産の専門家からのご意見を頂戴しているのですが、その中で阿蘇と人の関わりの歴史について価値を感じていただける方は多いようです。
例えば、もともと阿蘇は、カルデラの中が湖だった所から水が抜け、火山灰性土壌で、なかなか稲が育たない地域だったのですが、草を堆肥にして、土壌改良をし、稲を育てるようにしてきました。このような歴史について、阿蘇は唯一無二の価値があるポイントがあると評価していただいています。
これらの評価いただいているポイントを踏まえて、あとは、どのように世界遺産登録に向け、さらに評価いただける形で訴求できるかを日々考えている所です。
中村:世界遺産登録のために、価値の訴求と保全管理の仕組み構築と大きく2つの課題とあって、広さと人が住んでいるというポイントは歴史的な価値がある。ただし、人が住んでいるがゆえに、保全管理の難易度を上げているということですね。
(3)広大な草原管理の方法はどうやっているの?
中村:阿蘇の草原管理についてお話を聞きたいのですが、実際に維持管理をするといった場合に具体的にどのような作業が必要になるのでしょうか。
福田:まず、阿蘇の草原面積は公表されているものだと平成23年に計測した22,000ヘクタールという数値を基本よく使います。
成瀬:阿蘇の草原の維持管理として、一番大規模に行うのは野焼きですね。あとは放牧、牛や馬を放牧しているのもありまして、あとは採草。この3つが維持管理の主な業務になります。
野焼きは、2月から3月ぐらいまで行われます。また、放牧は春から秋まで、草の生えている時期に牛などを放牧しております。そして、採草は夏から秋に行われています。
中村:そうすると、野焼きがこの期間にあって、放牧をして草をちょっと少なくしつつ、採草もして、それで9月~11月は干し草狩りというのもあるというような形ですね。
もし仮に野焼きをしなかった場合とか、放牧をしなかった場合とかって、どういった状態になりますか。
成瀬:野焼きをしなかった場合、草原を放置することになりますので、森林に遷移してしまいます。草原を保つために野焼きが必要です。野焼きは草を燃やすだけではなく、低木などが生えてこないようにするためでもあります。
中村:採草に関しては、もしやらなかった場合はどういうことになるんでしょうか。
福田:野焼きと同じく、人間が草刈りをしないと、やがて森になってしまいます。また、輪地切りとか輪地焼きといって、春先にかけて野焼きをするために、事前に防火帯を作る作業を行います。昔から「輪地を切る」という風によく言っていますが、野焼きの火が森林に燃え広がらないようにという、事前に空白地帯、緩衝地帯を作ることです。
中村:採草というのは、畑で言うところの雑草取りみたいなイメージでしょうか?
伊津野:昔は茅葺屋根があり、茅葺屋根の材料を採るということですね。
あとは、牛がいるので、牛が牛糞をするじゃないですか。だから牛糞とこういう刈った草を合わせて、牛糞堆肥にしたりとかして、地元で野菜とかも栽培していますので、活用されたりというのもしています。
(4)広大な牧野を管理するのは大変?高齢化、人手不足に悩む…
中村:あらためて、22,000ヘクタールって、ものすごく広大だと思います。人手だけで毎年管理していくというのは想像するだけでも大変そうです。
そのため、どうしても管理が難しい場所というのも出てくると思うのですが、3年に1回管理している場所を移したりされていますか?それともなんとか守らなければいけないところの優先順を決めて、毎年守っていっているのでしょうか。
成瀬:阿蘇には、牧野組合というものがありまして、牧野組合がある一定の場所を管理しています。それが阿蘇郡市内に複数あり、そこの牧野組合を中心に野焼きや放牧などを行っています。
伊津野:例えばA地区の住民はA地区の牧野組合というので、管理する場所が決まっています。
そのため、A地区の住民がすごく元気で、若い人がいて、牛がたくさんいるとかっていうことであれば、野焼きは安泰ですけれども、高齢の方が増えてきたとか、牛がいなくなってきたとなると、この草原の維持管理が難しくなってくるということになります。
中村:宙畑では、耕作放棄地について取材させていただいたことがありますが、まさに同じ課題が増えているようです。高齢者の方が増え、後継者もいないので、耕作しない土地が増えてきてしまっている。そうすると雑草がどんどん増えてきて、まさに「森になっていく」という話をされていました。管理できずに荒れてしまって害虫が出てきてしまったりとか、獣道が増えてしまったりとか、そういった話とかはあって、まさに似ているのかなと。
福田:そうですね、似ていると思います。そして、先ほど申し上げました22,000ヘクタールという草原面積ですが、これは熊本地震前の面積です。実は、熊本地震が起きて、野焼きができなくなった牧野がいっぱいありまして、最近ようやく再開できたところも少なくありません。
そのため、地震によって人の手が今入っていない所もありますので、最新の正確な数値は、現状では22,000ヘクタールより少ないと思います。どうやって現状を把握し、野焼きを再開していくか、まさに悩んでいる所であります。
(5)草原の維持管理のための施策は? ドローン活用も実証開始!
中村:では、実際に維持管理するための効率化のために取り組まれていることを教えてください。阿蘇の草原管理に関する資料で、環境省が取り組むモーモー輪地切りや、ボランティアの方が野焼きに協力されているといったことは読ませていただきました。
宙畑メモ モーモー輪地切り
牛の採食行動を活用した、野焼きの拡がりを適切にコントロールするための防火帯づくりのこと。農家が既に所有している牛を活用し、大型機械の導入などに比べて少ない投資でおこなえる他、環境に配慮した技術として期待されています。
参考:https://www.aso-sougen.com/next/01a.html
成瀬:県の草原維持に係る事業のひとつに、恒久防火帯整備事業があります。防火帯なので、目的は輪地切り・輪地焼きと同じですが、草を刈ったり燃やしたりして防火帯を作っている輪地切り・輪地焼きに対して、恒久防火帯は舗装することで、恒久的な防火帯を作っています。また、恒久防火帯を整備することで、輪地切り・輪地焼きをする必要がなくなり、作業省力化となります。
また、熊本地震の影響や、牧野組合員等が高齢化していることにより、野焼きを休止している牧野に関しては、公益財団法人阿蘇グリーンストックと協力し、野焼きの再開を支援する事業も行っております。
中村:県として野焼きの再開を進めましょうという場所を決めるときは、どのように決められているのでしょうか。
成瀬:再開する牧野に関しては、支援してほしいなどの意見を各牧野組合からいただいたものに対して、県とグリーンストックとで協議の上、決定しています。
中村:実際に各牧野組合の方から「ここをお手伝いしてほしい」というふうな意見が上がってきたときに、ドローンを飛ばしてみたり、航空写真を見たりということはされていますか。
成瀬:野焼き前に、野焼きの実施場所の優先順位を決めるということは行っておりません。ただ、今年度からの新規事業で、ドローンやICTを活用した野焼きの作業省力化を目的とした実証実験を実施します。
内容は、輪地切り、野焼きの作業省力化のために、消火用の散水機付きドローン、草刈り機などの資機材を山上まで運ぶ運搬用ドローン、野焼き前に人がいないか、野焼き後に残り火がないかなどを監視するためのドローンを飛ばすなどと様々な実証実験をおこないます。
中村:そうすると、今まで人が危険なところに見回りに行っていたところをドローンに任せられるので、安全、かつ、実際に作業が必要なところに集中できそうですね。
成瀬:急傾斜地が多い牧野もあるので、重い草刈り機や水を持って山を登ることは、高齢者には重労働です。ドローンを使って、山上に運べるのであれば、作業を省力化できるのではないかと期待しています。
伊津野:私も野焼きボランティアをやっていますが、野焼きにはカメラマンの方も多いです。良い所で燃え上がる様子を写真に撮りたい方も少なくなく、燃え上がる方向にいらっしゃることもありました。
中村:それは危ないですね……。
伊津野:地元の人は火の方向とか、今からどっちに火が向くというのをすごく読む力があるので良いのですが、詳しい方ばかりではないので、ドローンで監視できるというのはそういった点でもとても良いですね。
(6)維持管理に衛星データが活用できそうなことは
中村:最後に、草原の維持管理の状況が毎年どうだったかという評価はどのようにされているのでしょうか?例えば、管理を担当する牧野組合の方からの「今回ここまでやりました」みたいな報告が毎年行われているのか、それとも、県のほうで航空写真を撮って、「今年はここが野焼き行われた・行われていない」というところを評価されているのかなど。
成瀬:牧野の管理については、牧野がある市町村が密接に連携しており、牧野から市町村に対しては情報伝達がされているのですが、そこから県に報告があることは現時点ではありません。
そのため、年に1回、前年度の野焼きの実施状況調査として、野焼きの面積を調査しています。
伊津野:カルデラの中と周辺に約200の牧野組合があって、その牧野組合が今年野焼きをしたかどうかというのは分かるのですが、1つの牧野組合の中で、よく焼けた所があるとか、燃え残りがあったとか、そういった状況把握は、現時点では私たちはは把握できていません。
中村:ありがとうございます。衛星データを用いれば、この区画は、今年は野焼きが行われたとかは把握できるのではないかと思います。ぜひ一度検証してみたいですね。
福田:衛星データを見せていただいて思ったのですが、世界遺産に登録された場合、ユネスコに定期的に維持管理の報告をしないといけないです。
そういった定期報告に、衛星データを使って誰が見ても「この草原についてはちゃんと野焼きが毎年維持されていますね」と確認できる指標になるかもしれないなと思いました。
伊津野:現時点で私たちがしなければならないことですが、今後、どういう風に保存管理をやっていくか、国に提案していく段階です。
「どういう風に阿蘇を保全していくのですか?」とか「モニタリング指標は何ですか?」とか、今後は国に提案していかないといけないので、衛星データを活用しながら、モニタリングをやっていきますというのは、今まで私たちは考えたこともなかったのですが、これは良いかもと思いました。
中村:ありがとうございます。次のお打ち合わせで衛星データ評価のプロトタイプになるものをお持ちするので、またご意見をいただければと思います!
(7)次回、衛星データ解析編
ここまで、世界遺産を目指す阿蘇の現状や草原管理の課題を紹介しました。
次の記事では、課題解決のために衛星データ他、様々なデータを用いた解析結果について、ご確認いただいたうえで、再度お打ち合わせをした際の会話を掲載予定です。