宙畑 Sorabatake

宇宙ビジネス

月面着陸から50年!アポロ計画の歴史と功績、捏造説の反証事例

アポロ計画の月面着陸から50周年。2019年に映画『ファースト・マン』が公開されるなど、今なお人類を惹きつけてやみません。アポロ計画の目的や計画名の由来、年表やその功績、陰謀論についてなどを初心者向けに解説。政府主導の宇宙開発から民間による宇宙ビジネスも成長しつつある昨今、アポロ計画を現代の視点から振り返ります。

2019年は、今でも多くの人を魅了して止まないアポロ計画の月面着陸から50周年という節目を迎えます。ふるきをたずねて新しきを知る。政府主導の宇宙開発から民間による宇宙ビジネスも成長しつつある昨今、宙畑ではアポロ計画を現代の視点から振り返ってみたいと思います。

アポロ計画のエンブレムとミッションパッチ

アポロ計画とは?計画名の由来は?

人類初の有人月面着陸を実現したミッション、それがNASAの「アポロ計画」です。1961年から1972年、NASAは計6回の有人月面着陸を成功させました。なかでも頻繁に注目されるのが、火災事故で3人の宇宙飛行士が地上で亡くなったアポロ1号、初めて地球の姿を宇宙から撮影することに成功したアポロ8号、人類が初めて月面着陸したアポロ11号、宇宙船の爆発事故により月面着陸せずに帰還したアポロ13号です。

アポロ計画命名の親はNASAのエイブ・シルバースタイン博士でした。ある日、「黄金の馬車に乗って大空をかけ、毎日太陽を所定の場所に牽引するアポロの姿」をギリシア神話の本で見て、ミッション名を決めたと言います。

詩歌、音楽、弓術、医術も司る太陽神アポロ(アテネ神殿の彫刻)

アポロ計画の背景と本当の目的~ソ連とアメリカの関係~

第二次世界大戦後の1945年以降、戦争は終結したものの、資本主義・自由主義を掲げるアメリカと共産主義・社会主義を標榜するソ連は対立し、冷戦が続いていました。1955年に始まり1975年まで続いたベトナム戦争も、泥沼化したアメリカとソ連の代理戦争と言われています。その冷戦をさらに刺激した大きな出来事に「スプ―トニク・ショック」がありました。1957年10月4日、ソ連が世界初の人工衛星「スプ―トニク」を宇宙に打ち上げたのです。それまで自国が宇宙開発の最先端であると考えていたアメリカは、技術開発の遅れに国防の脅威を感じました。やがて冷戦の闘いは宇宙の覇権争いへと昇華し、宇宙開発競争が勃発。どのようにしたら技術開発でソ連に圧勝し、力を見せつけることができるのか?その答えがアメリカ人を月に送り地球に帰還させること、つまり「アポロ計画」だったのです。

人工衛星スプートニク Credit : NASA

ベトナム戦争も進むなか、アポロ計画の勢いに拍車を掛けたジョン・F・ケネディ大統領の演説が2つあると言われています。第一に、1960年代までに有人月探査計画を実現することを宣言した、政府関係者に対する演説です。1961年5月25日、ケネディ大統領は予算獲得に本腰を入れるため、上下両院合同議会で「国家的緊急課題に関する特別議会演説」と題した演説を行いました。第二に、1962年9月12日に国民へ向けて行われた“We choose to go to the moon(我々は、月に行くことを決めました)”のくだりで有名な一般演説です。会場であるライス大学のライス・スタジアムは大歓声に包まれました。しかし、ケネディ大統領が暗殺されたのは、そのわずか1年後のことでした…。

ジョン・F・ケネディ大統領の言葉(ケネディ・スペース・センター)

現在、アメリカフロリダ州にあるケネディ・スペース・センターの入り口には、ケネディ大統領の一般演説での言葉が引用されている碑が建っています。

“For the eyes of the world now look into space, to the moon and to the planets beyond, and we have vowed that we shall not see it governed by a hostile flag of conquest, but by a banner of freedom and peace.”

「世界が宇宙、月、そして遥かな惑星へとのぞむ今、私たちは宇宙が敵対的な征服の旗ではなく、自由と平和の旗印によって統治されることを誓います。」

アポロ計画の偉大さと本当の目的は、戦争や醜い闘いに向いていたエネルギーを別の方向に向けようとした、ケネディ大統領含め、多くの人の知恵と世界平和の希求にあったのかもしれません。

ジョン・F・ケネディ大統領の碑(ケネディ・スペース・センター)
アポロ計画の壁画(スミソニアン航空宇宙博物館)

アポロ計画の全貌と年表

有人月探査計画の実現を目指し、無人・有人のミッション含め様々な布石がありました。それらの技術開発がやがてアポロ計画に繋がっていきます。

有人月探査への布石となる主なミッション

アポロ計画はそれ自体がひとつの壮大なミッションといえますが、複数の計画で構成されています。アポロ計画を構成するアポロ1号からアポロ17号までのミッションを表にまとめました。

アポロ計画のミッション
(参考:Kennedy Space Center展示と種子島宇宙センター宇宙科学技術館展示)

宇宙船の名前に着目してみるのも面白いですね。漫画で有名なチャーリー・ブラウンとスヌーピー、お化けのキャスパーまで登場します。表から算出できるように、アポロ計画の宇宙飛行士の平均年齢は38.31歳でした。

ヘルメットのバイザーに写るニール・アームストロング船長 Credit : NASA

月の地を人類で初めて踏んだのはニール・アームストロング船長でした。有名なのが「バイザー・ショット」と呼ばれる1枚の写真です。上の写真で堂々と月面に立っているのは、バズ・オルドリン宇宙飛行士です。その傍ら、アームストロング船長はとても小さく、ヘルメットのバイザーに反射して写っています。なんと、アームストロング船長は自らが写る写真を月面で一枚も撮影していないそうです。自分を差し置いてでも仲間を優先し、ミッションに注力するアームストロング船長の人柄が伝わってきますね。

ここで豆知識をご紹介。アポロ11号、14号、15号、16号のミッションパッチではミッション番号にローマ数字(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ…)ではなく、アラビア数字(1、2、3…)が使われています。アポロ11号は人類初の月面着陸という意味合いもあり、いろいろな国籍の人の判読性を高めるためアラビア数字が採用されました。また、何十万人もミッションに貢献しているにも関わらず、人類初の月面着陸で宇宙飛行士だけが表立つのはおかしいというニール・アームストング船長の意向により、アポロ11号だけ宇宙飛行士の名前がデザインに含まれていません。

さらに、このようなエピソードもあります。アポロ15号でデビッド・スコット宇宙飛行士はローマ数字の採用を考えていましたが、案は却下されてしまいます。しかし、仲間とちょっとした工夫を凝らします。ご興味のある方は、アポロ15号のミッションパッチの月のクレーターの影に注目してみてください(見る!)。

地球と月の往復

アポロ計画を達成するのには、もちろん宇宙船が欠かせません。覚えておきたいのは、有人宇宙船を打ち上げた「サターンV型ロケット」、月を周回した「司令船」、生命維持装置を積んだ「機械船」、月面に着陸した「月着陸船」です。それぞれの機械単体が複雑で、それらがすべて上手い具合に統合された大規模複雑システム、それがアポロ計画であったとも言えます。例えば、司令船は合計200万以上の部品、24kmの配線、24の計器、566個のスイッチ、40の標識、71の電灯で構成されていました。

それぞれの乗り物を写真で見てみましょう。

サターンV型ロケットの先端部(ケネディ・スペース・センター)
司令船(ケネディ・スペース・センター)
機械船(ケネディ・スペース・センター)
月着陸船(ケネディ・スペース・センター)

当時、アポロ計画では地球と月の往復に計4日間かかりました。そこで気になるのが衣食住の話。味はさておき、宇宙食のメニューを確認すると意外にも食欲をそそられる品名が続きます。ソーセージ、ビーフシチュー、ポテトサラダ、サーモンサラダ、コーンスープ、ココア、バナナプリン、パイナップルケーキ!また、アポロ計画で使用されていた宇宙服は、A7-Lという型式のものでした。着用に2時間も掛かる代物です。完成には数年かかり、NASAとILC Dover社合わせ500人以上もの人が開発に携わりました。宇宙で簡単な修繕もできるよう、宇宙船には裁縫道具も積まれていました。

宇宙服の裁縫道具(ケネディ・スペース・センター)

話は逸れますが、アポロ計画の功績を記念して、司令船をかたどって作られたのが明治製菓のチョコレート菓子「アポロ」なのはご存知でしたか?比べてみると確かに司令船そっくり…!

司令船⁉

アポロ計画陰謀論?月面着陸は嘘?真実であることは実証済み

私たちは普段、「人が月に行ったなんて信じられない」と半信半疑に月を見上げることもあるのではないでしょうか。到底不可能と思える取り組みを「ムーン・ショット」と表現する言葉も存在します。それだけ月に行くことは「ありえない!」と多くの人が考えています。

街中で見つけた小学校3年生までに
生徒の識字率を90 %にする取り組み“Moon Shot Moment”

アポロ計画が真実であったことは、さまざまな人が科学技術と天文学の観点から立証しています。例えば、近年では2014年、Google Earthなどにコンピュータの高速演算を可能とするGPU装置を提供しているNVIDIA社の技術チームが、映像表現技術向上のためにコンピュータで月面着陸の映像を再現しました。自社のGPU装置と光を映像で表現するVXGI(Voxel Global Illumination)技術を使い、月面での太陽光の当たり方の精細なコンピュータモデリングに成功。再現した月面着陸映像の光の陰影が、アポロ計画で撮影された写真の光加減と一致したと発表しました。

その他にも、天文学者フィリップ・プレイト著の『イケナイ宇宙学 間違いだらけの天文常識』(楽工社、2009年)では、「なぜ写真に星が写っていないの?」など定番の疑惑に対して科学的に解説しています。2003年に公開されたドキュメンタリー『アポロ11号-月面着陸に隠された真実(The Truth Behind the Moon Landings)』などの作品もあります。

アポロ計画捏造疑惑とあわせて話題に挙がるのが、アポロ計画と秘密結社フリーメイソンの関係です。当時、そして50周年記念のアポロ計画のエンブレムにはオリオン座のデザインがあります。NASAの公式見解では、三ツ星はアポロ1号で亡くなった宇宙飛行士を象徴しているとありますが、異なる見方もあるようです。興味のある方は調べてみてください。

また、アポロ計画の陰謀論をネタにし、月面着陸を火星着陸に置き換えて宙飛行士たちの命が政府によって狙われるハラハラドキドキのサスペンス映画も生まれています。『カプリコン・1(Capricorn One)』(1977年)という映画ですが、面白いのでぜひ鑑賞してみてくださいね。

アポロ計画の功績とその後の宇宙開発

アポロ計画はアメリカの威信獲得のみならず、サターンV型ロケット・宇宙船・アポロ誘導コンピュータの開発を通じて技術が発展し、それらを統合したシステム工学を成長させました。アポロ8号が「日の出」もとい「地球の出」を撮影したことがより多くの人の世界の見方を変え、月の起源を解明する科学の進歩にも貢献しました。

Genesis Rockを眺める研究者 Credit : NASA

アポロ計画では全ミッション合わせ、約380kgもの月の石を地球に持ち帰って来ています。それまでは写真とリモートセンシングによるデータだけに頼っていたところ、現地調査によるサンプルを採取できたことは月の地質調査において大きな前進でした。月の海(黒っぽい箇所)は玄武岩、月の高地(白っぽい箇所)は斜長岩で構成されていることも確認できています。アポロ15号が持ち帰ってきた「ジェネシス・ロック」と名付けられた約9cmの斜長岩はなんと推定40億年!多くの科学者は、月のマグマ(高温により液状化した岩石物質)の海から斜長岩が直接結晶化したと考えていたため、斜長岩の成分を調べることこそが、月、そして地球の起源の理論を裏付ける証拠となると考えていました。

Let’s rock’n’ roll!(ケネディ・スペース・センター)

アポロ計画後、NASAは地球軌道を周回する大型宇宙ステーションを建設するスカイラブ計画(1973年-1979年)、犬猿の仲であったソ連との共同プロジェクトであるアポロ=ソユーズテスト計画(1972-1975年)を進めました。1962年、世界が核戦争の危機に陥ったキューバ危機を乗り越え、1970年代に米ソ冷戦のデタント(緊張緩和)が進み、1975年7月17日、ついにアポロ宇宙船とソユーズ宇宙船のドッキングが成功します。それは、長く続いた冷戦の終結を象徴したのでした。半世紀前、宇宙開発の主なプレーヤーがアメリカとソ連の二強であったのが、現在は国際宇宙ステーションに15ヵ国が協力し、そして中国の台頭も含め、宇宙開発に参加する国の裾野は着実に拡大しています。

受け継がれる伝統(ケネディ・スペース・センター)

受け継がれる伝統(ケネディ・スペース・センター)

今まで宇宙に行った人の数は約500人以上に及びますが、そのなかで月面歩行をしたムーン・ウォーカーは未だアポロ計画時の12人に留まっています。技術が十分あるにも関わらず月へ行かない理由には第一にコストの問題があります。有人探査は宇宙事業の中でも最も多額の費用がかかり、政治支援を得るのも難しいとされています。

アメリカが考えた打開策は、宇宙開発へ民間企業の新規参入を後押しすることです。そこで2007年に登場したのが、民間による月面探査を目標に掲げる「Google Lunar XPRIZE」。このプロジェクトはXプライズ財団主催の賞金レースで、月面に無人探査機を着陸させ、500m以上走行させ、高解像度の動画と写真データを地球に転送することに成功した優勝チームに賞金最大2千万ドル(約20億円)を贈るというものでした。最終的には世界から5チームが残り、アメリカからMoon Express、イスラエルからSpaceIL、インドからTeamIndus、日本から宇宙ベンチャーispace社のHAKUTO、多国籍チームで編成されたSynergy Moon(アメリカ、オーストラリア、クロアチア、マレーシア、ブラジル)が競い合いました。しかし、期限である2018年3月31日までどのチームもロケット打ち上げが間に合わず、勝者がいないままレースは終了してしまいました。今後、私たちはどのように再び月を目指すのでしょうか?考えると、とてもワクワクしますね。

「夢みたい」を現実に。HAKUTO 袴田武史氏

2018年秋、ファッション通販サイトなどを運営するZOZO株式会社の前澤友作CEOが米SpaceX社のイーロン・マスク氏と契約を結び、2023年に1週間掛けて月を周回する宇宙旅行のチケットを購入したことが話題になりました。プロジェクト名は「#dearMoon」。大枚をはたいてでも宇宙に行きたい…人類初の月面着陸から半世紀経った今も、月に行くことは多くの人にとってロマンです。アポロ計画の宇宙飛行士の平均年齢は38.31歳でしたが、これから人類が再び月を訪れるとき、平均年齢は上がるのでしょうか、下がるのでしょうか。インスタ上で「#バイザーショット」というハッシュタグと共に月旅行の画像がアップされる…なんて時代がくるかもしれませんね。

映画や本にも。50年たった今も人類の夢

2019年に宇宙飛行士ニール・アームストロングの半生を描いた映画『ファースト・マン』が公開されました。人類が人智を超えた宇宙に挑んだアポロ計画は、50年経った今もなお、本や映画などの作品を通して私たちの想像力を掻き立ててくれています。

そして、2019年5月、NASAが次の有人月面着陸計画として発表したのは「アルテミス(Artemis)計画」。月面着陸50周年を記念し、宙畑では連載記事を順次発表していきます。乞うご期待!

アポロ計画50周年記念 Credit : NASA

月面着陸50周年記念!宙畑連載記事

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