宙畑 Sorabatake

特集

月から地球へ帰還する方法とは?幻のアポロ司令船を追う

アポロ11号の月面着陸50周年を記念した連載企画の第4回目では、アポロ計画で宇宙から唯一地球に帰還した「司令船」に焦点を当てます。司令船はどのようにして地球へ帰還することができるのでしょうか。あの司令船は今!?

・地球に唯一帰還するアポロ計画の「司令船」と帰還方法
・米シカゴでアポロ8号の司令船発見!
・オランダから日本に辿り着いた幻の司令船!?
・Ad Astra Per Astera「困難を越えて星のように輝く」

 

・地球に唯一帰還するアポロ計画の「司令船」と帰還方法

アポロ計画の宇宙船(月着陸船、司令船、機械船)のなかで、月から地球に帰還したのは毎回「司令船」だけでした。司令船はどのように地球へと帰るのでしょうか。宇宙船が月面から地球に帰還する際、2人の宇宙飛行士が乗る月着陸船の上段が、月の周回軌道で1人の宇宙飛行士が待機する司令機械船とドッキングします。そして、大気圏突入直前に司令船から機械船が切り離され、司令船だけになった状態で大気圏に再突入し、地球へ帰還することができます。

ドッキングした宇宙船の様子 Credit : NASA

一方、月着陸船の上段は、月面上での衝撃波測定実験のためわざと月面に落とされたり、アポロ10号では太陽軌道に放棄されたり、アポロ13号では大気圏突入時に燃え尽きたりと、さまざまな運命を辿っています。月への行き方と帰還方法の概略図は、NASAのジェット推進研究所(JPL)で働く小野雅裕さんの連載記事で紹介されている絵がとても分かりやすいので参考にしてくださいね(図を見る!)。

アポロ17号司令船メインパラシュート(宇宙博2014) Credit : sorabatake

司令船の大気圏再突入時の速度は時速4万キロにも達します!最終的に時速約30キロメートルまで減速するため、地球から高度約8キロメートル(時速約500キロメートル)でパラシュート格納部の蓋を開けるために直径約2メートルのドラッグシュートが開傘し、その次に減速のため直径約5メートルのドラッグシュートが2つ開傘し、最後に高度約3キロメートル(時速約260-280キロメートル)で3つのメインパラシュート(直径約25メートル)が開傘。最後に司令船は海に着水し、回収されます。なんと、アポロ15号ではメインパラシュートの1つが開傘しないトラブルも発生しました!

パラシュート開傘の順番 Credit : NASA

大気圏突入時、司令船を高温のプラズマ(固体・液体・気体に続く物質の第4状態)が包み込み、地上局間との電波を遮り、地上との通信が断絶する「ブラックアウト」と呼ばれる状態が約3分間発生します。司令船が無事に着陸し再びコンタクトがとれたとき、ミッションコントロールの管制官はなんと安堵したことでしょう!

司令船が地球へ帰還したのはアポロ7号から17号の計11回でした。アポロ1号からアポロ17号まで使われた本物の司令船が展示されている場所は、アメリカのスミソニアン航空宇宙博物館の公式ホームページに掲載されています(参照)。そのうち、4箇所はGoogle ストリートビューで遠隔からでも司令船を見学することができます。4箇所のGoogle ストリートビューをまとめたツアーをGoogle ツアービルダーで製作したので、ぜひご参加ください!(司令船展示会場のGoogle ストリートビューツアーに参加・動作エラーが出る場合は上記の動画で参加!)遠隔から博物館や科学館を見学することは、ひと昔前は考えられなかったことですね。アメリカ以外には、イギリスの首都ロンドンにアポロ10号の司令船があります。

・米シカゴでアポロ8号の司令船発見!

米イリノイ州の都市シカゴは、別名「風の街(Windy City)」というあだ名があります。風を象徴するのは「人工的な風洞」と呼ばれるジョン・ハンコック・センター超高層ビルのビル風です。街中には、風でスカートをなびかせているマリリン・モンロー像もあります。シカゴは航空産業のボーイング本社があることでも有名です。

巨大なマリリン・モンロー像(シカゴ設置は2012年まで) Credit : sorabatake

シカゴ科学産業博物館(Museum of Science + Industry)で発見したのが、日の出ならぬ「地球の出」を撮影したアポロ8号の司令船です。

アポロ8号の司令船(シカゴ科学産業博物館) Credit : sorabatake

アポロ8号の司令船パイロットとして活躍したのが、ジェームズ・ラベル宇宙飛行士です。彼はその他にも、ジェミニ計画、アポロ11号のニール・アームストロング船長のバックアップ搭乗員、アポロ13号の司令官として活躍しました。1973年にNASAを引退したとき、715時間5分の宇宙飛行時間を記録した宇宙飛行士です。

ジェームズ・ラベル宇宙飛行士 Credit : Texas A&M University

そんな偉業を成し遂げたジェームズ・ラベル宇宙飛行士ですが、目標に近づくまでは紆余曲折の道を歩んでいます。学生の頃、彼は「僕はロケットのエンジニアになりたいです」とアメリカロケット協会に手紙を宛てましたが、その返事は「マサチューセッツ工科大学またはカリフォルニア工科大学に入学しなさい」という素っ気ないものでした。12歳のときに父親を亡くし、彼には払える学費がありませんでした。その後、メリーランド州アナポリスの海軍兵学校に入隊願書を提出しますが、そこでも入隊を拒否されてしまいます。それでも諦めず、ウィスコンシン大学で予備役将校訓練課程を2年間経た後、再度願書を提出し、ようやく入隊が認められた経緯があります。学生時代は液体ロケットについて論文を執筆しています。

アドラー天文博物館 Credit : Adler Planetarium

最後まで諦めなかったジェームズ・ラベル宇宙飛行士。1930年、篤志家マックス・アドラー氏により全米で初めて建設されたプラネタリウム、アドラー天文学博物館に飾られている言葉をご紹介します。

“If you want to be successful as an astronaut or as anything else, you have to keep trying. There will be disappointments in your life. You’ll get so far and then there will be a setback. And if you let the setback overcome your drive, your willpower, then you’re in trouble.” Jim Lovell

「宇宙飛行士でも、何を目指すとしても、その分野で成功するためには挑戦し続けなければいけない。人生で落胆することは必ずある。ここまで努力してきて、ここまでようやく辿り着いたと思った瞬間、新しい障がいが目の前に立ちはだかる。だが本当に君がトラブルに巻き込まれるのは、逆境や壁に君の意欲や意志を屈服させてしまったときだ。」ジェームズ・ラベル宇宙飛行士

・オランダから日本に辿り着いた幻の司令船!?

2017年夏のとある日、欧州宇宙機関に勤める知り合いの方から筆者へ一通のメールが届きました。「オランダがかつて所有していた司令船が日本にあると聞いた。それが今どこにあるか知ってるか?」

インターネットで検索してもなかなか答えは見つからず。「日本の万博でも飾られていたようだ…」という曖昧な情報も加わって、当時の展示目録に目を通すも見当たらず。途方に暮れているところ、ある人のブログを読むとどうやら、それらしきものが福岡県のテーマパーク「スペースワールド」にあることが判明。すると、な、なんと、2017年12月にスペースワールドが27年間営業の幕を閉じるとのこと!真相を確かめるべく、11月に駆け込みでスペースワールドを訪れたのは2年前のことでした。

スペースワールド駅 Credit : sorabatake
福岡県スペースワールド Credit : sorabatake

スペースワールド「宇宙博物館」には、宇宙マニアにはたまらない、本物のミッションで使われた展示物が数多く飾られていました。閉園がなんと惜しまれたこと!

スペースワールド「宇宙博物館」 Credit : sorabatake

宇宙博物館を訪れると、展示室に怪しく佇むカプセルを発見!展示の横には「製造元であったアメリカのロックウェル・インターナショナル社から、1986年のオランダの宇宙博用に譲られ、オランダ宇宙関係者(Dr.Titulaer)の御厚意で福岡県スペースワールドが譲り受けたものです」との説明書きがありました。ちなみに、ロックウェル・インターナショナル社は現ボーイング社です。

未完成の司令船カプセル(1)
(高さ323センチメートル/底辺の直径310センチメートル) Credit : sorabatake

展示室にはカプセル以外にも、アポロ=ソユーズ計画で使われた司令船のパラシュート収納部カバーやアポロ6号のハッチが展示されていました。貴重なコレクションが大集合!スペースワールドのこだわりを感じることができます。

司令船パラシュート収納部カバー Credit : sorabatake
アポロ6号のドア(ハッチ) Credit : sorabatake

さて、展示の説明にあった「オランダ宇宙関係者(Dr.Titulaer)」とは、どんな人物だったのでしょうか?クリエット・ティツラボーン(Chriet Titulaerborn)博士はオランダの有名な天文学者でした。アメリカとフランスでそれぞれ2年間過ごした後、オランダに帰国し、科学技術分野のラジオやテレビ番組の司会者として活躍しました。アポロ11号月面着陸の生中継番組で人気を博すようになり、1981年にはスペースシャトル「コロンビア号」の初打ち上げの司会も務めています。

クリエット・ティツラボーン博士 Credit : HISTORIEK

1970年代にアポロ計画が打ち切られ、ロックウェル・インターナショナル社の工場を訪れると、そこにはアポロ計画中止で未完成となった司令船カプセルがありました。そこまでの製造コストはおよそ1千万ドル(当時約36億円)。冗談でティツラボーン博士は1ドルで買い取るよと伝えるとロックウェル・インターナショナル社の代表者が真に受け、購入手続きを進めたのでした。そこに居合わせたオランダ航空会社マーティンエアの社長は、カプセルを自社の旅客機ボーイング747に積むことを提案しましたが飛行機のドアが小さすぎたため、結局、司令船は船でオランダまで輸送されることに。その後、司令船は博士の裏庭に長年飾られていました。あるとき日本人がやってきて、3万ギルダー(当時約200万円)で司令船を購入したいとの相談を受け、司令船が日本に渡ってきたのでした。

未完成の司令船カプセル(2) Credit : sorabatake

・アポロ1号の司令船~Ad Astra Per Astera「困難を越えて星のように輝く」~

最後にご紹介するのは1967年1月27日、アポロ1号の火災事故で焼け焦げた司令船の残骸です。ケネディ・スペース・センターには、アポロ1号、そして後のスペースシャトル事故で亡くなった宇宙飛行士を追悼する、ラテン語で”Ad Astra Per Astera(A Rough Road Leads to the Stars)”という名の展示室があります。そのラテン語は「困難を克服して栄光を獲得する」、「困難を乗り越えて星のように輝く」などの意味を持ちます。

司令船の当初のデザインは、2枚ドア(ハッチ)で、外ハッチは外向き、内ハッチは内向きに開閉するものでした。地上試験中にアポロ1号の火災事故が起こった際、カプセル内に充填した燃焼ガスの圧力でハッチが開けられず、3名の宇宙飛行士が犠牲となりました。当初のハッチの設計要求は「60-90秒以内に施錠を解除し、ドアを開け退出できること」でしたが、事故後は「ドアを3秒で開け、30秒以内に退出できること」と大幅に変更されました。アポロ7号から始まる有人宇宙飛行では、改良されたハッチが使用されました。

司令船の展示の横には、事故が起きた日に出勤し、救出のため最大限力を振り絞ったNASAと司令船を製造したノース・アメリカン・アビエーション社の職員33名の退勤カードが展示されています。

火災で焦げたアポロ1号のハッチ(ケネディ・スペース・センター) Credit : sorabatake

今回の連載記事では、大気圏再突入という過酷な環境を耐え、毎回地球に戻ってきた司令船に着目しました。ドア(ハッチ)の設計ひとつをとっても、人命が左右される有人宇宙船開発の難しさが伝わってきます。また、「地球の出」を撮影したアポロ8号にも搭乗したジェームズ・ラベル宇宙飛行士の初志貫徹する精神についても知ることができました。そして、アポロ計画が打ち切られ、未完成となった司令船が日本の福岡県にどのように辿り着いたのか、あまり知られていない日本とオランダの物語をご紹介しました。今回の記事でご紹介した現在展示中の司令船も、機会があればぜひ見てみてくださいね。

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