鬼、かっぱ……妖怪が現代日本でも暮らせるエリアを宇宙から探してみた(前編)
衛星データを使って妖怪の住処を探そうというプロジェクトが始動。まずは妖怪の専門家に妖怪が住みやすい条件を聞いてみました。
『今昔物語集』の百鬼夜行に、江戸時代の妖怪浮世絵ブーム。昭和は水木しげるの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』、平成はゲーム『妖怪ウォッチ』が大ヒット――古くから日本社会において妖怪は「人間の心の闇」を具現化した存在として切っても切れない関係にありますが、2020年も例外ではありませんでした。
新型コロナウイルス感染症が世間に蔓延し始めた2020年2月から、疫病退散にご利益がある妖怪として「アマビエ」のイラストを描くことがSNSでブームに。また、鬼と化した妹をもとに戻すため悪鬼と戦い続ける主人公の姿を描いた人気漫画『鬼滅の刃』は、10月公開のアニメ劇場版が興行収入歴代1位となる大ヒットを記録。経済波及効果は少なくとも2,000億円を超えたと報じられています。
ありがたい、ありがたすぎるぞ、妖怪たち。
しかし、昔から暮らしている当の妖怪たちは、環境が大きく変化した現代の日本でちゃんと暮らせているのでしょうか。漫画やアニメで「環境破壊によって妖怪の住処が奪われている」なんてシーンを見たことがありますが、今の日本に本当に住む地域がないのだとしたら、なんとも恩知らずなものです。何より、妖怪の住んでいない日本なんてつまらない。
そうだ、宇宙から探そう。今の日本でも妖怪が暮らせる土地を。
代表的な妖怪の”住まいの条件”を調べ、衛星データによって地球上の伐採データや水場、標高、夜間光などさまざまな情報がわかる衛星データプラットフォーム「Tellus」(テルース)で、今も妖怪が暮らせる場所を探してしまえばいいのです。
見つかったら「この妖怪は まだ日本にいるのです」とトトロのキャッチコピーばりに安心して、その場所をしっかり守っていきたい。最強の鬼と言われる「酒呑童子」伝説が残る京都や、かっぱで知られる岩手の遠野がすでに住心地が悪くなっていたら、「このエリアどう?」と引っ越し先を提示してあげたい。衛星データでお部屋探しだ。
そこで「地域社会と妖怪文化との関係」について研究している市川寛也・群馬大学准教授に、妖怪といえばすぐ皆さんの頭に思い浮かぶであろう「鬼」と「かっぱ」の生活条件をうかがいました。古くから伝わる妖怪は日本のどんな場所で生活してきたのか。そして妖怪の存在は社会にどんなことをもたらしてきたのでしょうか。
市川 寛也(いちかわ ひろや):1987年生まれ、茨城県出身。群馬大学共同教育学部美術教育講座准教授。地域社会と妖怪文化との関係について研究。各地で地域住民と一緒に妖怪がいそうな場所を探すワークショップ「妖怪採集」も実施している。 |
●妖怪が暮らすには人が必要
――市川先生、今日はよろしくお願いします!
市川:はい。私は全国何カ所か妖怪にまつわる土地を継続的に観察してきたのですが、今回は衛星から妖怪を調べられるとのことで楽しみです。
――先生は、どうして地域と妖怪の関わり合いを研究しているのでしょうか。
市川:実は妖怪のことを知るためには、場所との結びつきが重要な要素になるんです。例えば民俗学者の柳田国男は妖怪と幽霊(おばけ)の違いの一つに、「妖怪は出る場所がある程度決まっている」点を掲げています。もちろんこれには例外もありますが、妖怪研究の一つの観点としてはうなずけるところもあります。
一人だけが語っても妖怪にはならず、特定の地域社会の中で「あの沼にはかっぱがいるぞ」「あの森には天狗が住んでいるぞ」みたいに、ある程度場所と結びつける形で語られることで妖怪は生み出されていくのです。そういう意味で、妖怪を見つめていくとおのずと地域の特性が浮かび上がってくる……地域社会を考えるのに妖怪は有効な視点の一つではないか、というのが私の研究の出発点です。
――なるほど。では早速ですが、妖怪はどんなところに住みがちなのでしょう。
市川:まず「その地域に人がいること」が重要なポイントです。例えば周りに何もない大海原、深い山奥など、人が立ち寄れないような場所は妖怪の話がそもそもあまりないんです。
――人間が介在しない場所にひっそりと暮らしているイメージなので、意外でした。
市川:ただし人が生活するエリアのみに妖怪が発生するのではなく、人の立ち寄らないエリアとの”境界”に現れやすいです。
かつての日本には比較的小さなコミュニティが点在していました。その生活空間と外の世界とのほどよい境目、例えば尾根から尾根へと隣の集落へ行くときに通る道沿いだとか、“日常のなかの非日常”といった場所に妖怪は出やすかったわけです。
そうした領域には、川渡りをしていると急に深くなって溺れやすい川淵や、落石が多い谷など危険をはらんでいることが多いです。危険な場所を他の人に伝える場合、現代ではハザードマップなど科学的な手段がありますが、昔は共同体のなかで言葉や視点を変え、「あの淵にはかっぱが出るぞ」なんて妖怪と結びつけて共有されていたというケースはよく見られますね。
――人が誰かに“日常に潜む非日常”を伝えるときに妖怪が生まれる、と。
市川:妖怪に人が欠かせないという意味では、私が調査している地域の一つ、徳島県三好市山城町は興味深いです。
山城町は四国の真ん中あたり、吉野川の上流に位置していて、ほとんどが急傾斜地のエリアです。大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)の名勝が有名ですが、2000年頃からこの土地を「四国の秘境山城・大歩危妖怪村」として、妖怪伝承を80種ぐらい発掘して地域資源として発信しています。
――20年ほど前からとは、けっこう最近ですね。
市川:そうなんです。大歩危には有名な妖怪として「こなきじじ い」がいるのですが、もともと徳島の伝承であることはわかっていたものの、具体的にどこの地域で語られていたのか最近までわかっていませんでした。1990年代後半に徳島の郷土史家の調査で、山城町で複数の方から「小さい頃にこなきじじい の名前を聞いたことがある」と証言があったことから、一つの伝承の 地として知られるようになったのです。
地元のボランティア団体がまずはこなきじじい の石像を作り、そこからいろんな妖怪の伝承を発掘して、妖怪祭りを開いたり、道の駅に手作りの妖怪人形を展示したミュージアム 「妖怪屋敷」を作ったりしています。
――存在感のなかった妖怪たちが、地元の方たちの観光活動によって復活してきたと。
市川:まさに。子供の頃に聞いたことはあったけど特に価値を見出していなかったこなきじじい が、現代でまた息を吹き返しているパターンです。
アマビエも私たちのような妖怪マニアのなかではメジャーな部類でしたが、ごく最近までは一般的知名度はほぼ皆無に等しかったわけです。しかしご存じの通り、新型コロナウイルス感染症が流行し、SNSの拡散力も借りて一気に知れ渡り、流行語にノミネートされるまでに至りました。人の手によって、妖怪が現代で復活した好例でしょう。
●鬼はなぜ金棒を持っている?
――ここから、代表的な妖怪の「住む条件」を伺っていきたいと思います。去年もっとも日本をにぎわせた妖怪といえば『鬼滅の刃』ブームによる「鬼」だったと思います。鬼の生活条件で一般的なものはありますか?
市川:洞窟や山は、人々が「鬼がいそうな場所」のイメージを思い描きがちな 場所という意味で、生活条件と言っていいかもしれません。
鬼の話は全国に伝承が残っているんですが、有名どころだと「酒吞童子」でしょうか。京都の山奥、今のJR福知山線の奥にある大江山に住んでいたとする伝承があります。
――マンガやアニメでは最強クラスの妖怪として登場しがちですね。
市川:大江山へは行ったことがあるのですが、確かに不安を覚えるような山奥で、石や岩がたくさん転がっていました。
市川:また、鬼が登場する話として有名なもの といえば、やはり「桃太郎」でしょう。昔話というのは「昔々あるところに」と、基本的に場所との結びつきがぼかされていることが多いのですが、香川県高松市から瀬戸内海にちょっとした離れ小島として浮かぶ「女木島(めぎじま)」は、100年前ぐらいから「鬼ヶ島」のルーツの1つと呼ばれています。
女木島では中央の峰の中腹に洞窟が見つかり、中には小さな部屋まで作られていました。海賊が使っていたのではないかと諸説はありますが、郷土史家が鬼ヶ島説を唱えたことで、現在は「鬼ヶ島大洞窟」として、桃太郎伝説が体験できる施設となっています。
このように、洞窟、岩間、山あたりが、鬼が身を隠して生活していそうな共通イメージに、あげられるでしょう。
――中が暗闇だと、ことさら何か怖い存在が潜んでいるんじゃないか想像してしまいますね。
市川:さらに文化的な話をすると、鬼は製鉄文化と強い結びつきがあるともいわれています。映画『もののけ姫』のたたら場をイメージするとわかりやすいですが、昔の製鉄集団の集落は都市部から離れたところにつくられる傾向にありました。
人里離れ、ある特殊技能をもった集団……一般的な人間社会とは違う共同体といった意味合いで「鬼の集まり」と呼ばれた側面があったようです。もっとも、捉えようによっては差別的なニュアンスも含むため今では使われてはいませんが。
――ひょっとしてよく物語で鬼が金棒をもっているのって……。
市川:まさに、そうした製鉄技術のイメージから生み出されたものもあります。今回衛星データから鬼を探す際も、鉱物の取れる場所や、過去の製鉄所なども調べられると面白いかもしれません。
――次に『鬼滅の刃』では人の生き血を吸っていましたが鬼の食文化はどうなっているのでしょう?
市川:鬼は何を食べて生きていたか、直接的なデータはあまり残っていません。ただ、鬼が人を食べる姿を描いた絵画はあるので、生き血を吸って生きる鬼も、かけ離れたイメージではありません。福島県二本松市に残る「安達ケ原伝説」では、鬼婆が永遠の命を保つために妊婦の生き肝を食べていた、という伝承もあります。もちろん先ほどの酒呑童子はその名の通りお酒が好きなわけですが、人間以外のものを飲食する鬼もいますよ。
――なるほど、酒造りの地域を探すのも面白そうですね。先ほどの話では妖怪は、人の生活エリアと立ち寄らないエリアの境界に発生するとのことでした。鬼はどれくらい人里から離れたところに住んでいそうでしょうか。
市川:実は酒呑童子伝説が伝わる大江山に行ったとき、あまりにも京都と離れすぎていることに若干疑問があったんですよね。いま電車で行ってもけっこうな時間がかかるほどで、ここから都に行くのは大変だなと。
対して「鬼ヶ島」のモデルと言われる香川県の女木島は、高松市から目視できるちょうどよい距離感にあるんです(※Google Mapで直線距離約5キロ)。島というのはそれ自体が人間の世界と海で分断されているのもあるのですが、人が生活圏から認知できる距離としても程よく、衛星データから調べる際「鬼が発生しやすい距離」の参考になるかもしれません。
あとは岡山県岡山市には桃太郎伝説の発祥地として知られる「吉備津彦神社」があるんですが、その神社から10キロほど離れた山に、実際に鬼が出たとされる「鬼の釜」という場所があります。こちらも参考になるでしょう。
※高松市街と女木島、吉備津彦神社と鬼の釜の距離
●かっぱのために淵を残そう
――続いて、もう一つ代表的な妖怪として「かっぱ」の生活条件をうかがいたいです。水辺で、きゅうりが生えていればOK、というイメージを勝手に抱いておりますが……。
市川:実は「かっぱ」というのはもともと関東地方や東日本における方言のひとつで、地域によって呼び名も見た目も実にさまざまなんです。四国ではかっぱは「エンコ」「猿猴(えんこう)」と呼ばれていますが、これは毛むくじゃらの茶色の姿、どちらかというと猿に近い妖怪になっています。
――ええっ。一般的なかっぱと随分と違いますね。
市川:石川県や北陸地方ではかっぱのことを「かわそ」と呼んだりします。言わずもがな、カワウソをかっぱの一種として妖怪視したものです。2012年に環境省が絶滅を宣言したニホンカワウソはかつて人々の生活に身近な生き物だったわけですが、水の中から立ち上がった姿がある種人間のように見えて、現地では「かわそ」、今でいうかっぱとして扱われていたわけですね。
このようにかっぱが、その地域の川辺に住む生き物と紐づける形で、さまざまな名前で呼ばれているのは重要な要素です。現代でも、ルーツとなった生き物の生息域と照らし合わせることで、かっぱの住処が浮き彫りになってくるかもしれません。
――なるほど。そうなると四国ではサルの生息域にかっぱがいるかもしれない、ということですね。
市川:あとは、淵も重要なポイントです。
淵というのは川の中でも「水深があり」「流れがゆるい」ところを指しますが、安全そうに見えて急に10〜20mの深さになっていることも珍しくありません。複雑な流れや渦が発生するなど水難事故が起こりやすい場所で、「人ではない何かに足を引っ張られた」と、淵にかっぱが現れる伝承は多く残っています。
あとは川のどこかにピンポイントで固有名詞がつけられているとき、「◯◯淵」など淵が使われがちなのも重要です。自ずと「あの◯◯淵には……」といったように共同体の中で情報が共有しやすくなってきます。「語りやすい場所」という側面からも、淵にはかっぱが発生しやすいとみていいでしょう。
――淵にこれだけかっぱの発生条件が詰まっているなんて。でも近代はダム開発や治水工事などで、川から淵は減っているイメージです。
市川:そうなんですよ……! かっぱの住処が非常に危ないんです。
実際、河川の支流に小さなダムを作るだけでも、淵はけっこうなくなっています。また、広葉樹を針葉樹に変えてしまうことで土地の保水量が減り、川に入る水の量が少なくなることも淵が減る大きな要因です。ですので、衛星データで調査するときは、ダムがなく、植林(人工林)よりも原生林が残っているエリアを探せばかっぱにとって住心地の良い場所が見るかるかもしれません。
かっぱの伝承が残りにくくなっている理由は環境的背景もあるとみて、三好市山城町では淵の名前を残すために地元の方々が動き出しているところです。
――マンガやアニメで「都市開発によって妖怪が住処を奪われた」エピソードはよくみかけますが、かっぱの場合は切実な問題ですね。気になったのですが、治水工事を早い段階で取り組んでいる河川はかっぱは少ないのでしょうか。水際に人間の手が入ると、自ずとかっぱも姿を消してしまいそうなイメージです。
市川:実は治水工事とかっぱには深い関わりがありまして。浅草には合羽橋という地名がありますが、隅田川や江戸川沿いにはかっぱが住んでいて、今はなき新堀川の治水工事を行ったという伝承があるんです。
――え、追いやられるどころか、むしろ協力的だったのですか。
市川:製鉄所の人々が鬼と結び付けられたケースに近いのですが、水辺で仕事を営む人々を「水のスペシャリスト」としてかっぱになぞらえた文脈が考えられますね。
一方で、ご推測の通り治水工事を進めたことでかっぱがいなくなったケースもありえます。現代で言うところの護岸工事でしょうか。
江戸の治水工事はもう少し自然の地形と連動したあり方でしたが、戦後から現代にかけては川辺をコンクリートの堤防でガチガチに固めてしまうような、自然を封じ込める工事が行われました。同じ治水工事でも、年代の違いでかっぱのいる・なしが変わってくるかもしれません。
――なるほど……あと、かっぱも「人里と自然の境界」に現れるのでしょうが、具体的にはどれくらい人里から離れたエリアに生まれるのでしょうか。
市川:先ほどの鬼に比べると難しいですね(苦笑) 日本には海がない県はあっても川がない県はないわけで、おおよその市町村には川があるため、全国の至るところにかっぱの伝承があります。
茨城県にある牛久沼では、明治から昭和にかけて活躍した小川芋銭という画家が近くにアトリエを築いてかっぱの絵を描き続けたことが知られていています。他にも、悪さをしたかっぱを縛りつけていたという松の木、通称「カッパ松」も牛久沼のそばに残っていますが、アトリエ跡地やカッパ松と牛久沼の距離は参考にしても良いかもしれません。
とはいえ、小川芋銭のアトリエ跡地「雲魚亭」やカッパ松と、牛久沼のほとりの距離はわずか140メートルほど。隅田川の掘割工事を手伝ったりと、かっぱと人里の距離感はかなり近いのかも……?
――さまざまなかっぱの生活条件をありがとうございます! これだけあると衛星から住まいを探せそうです。
* *
市川先生からうかがった「鬼」と「かっぱ」の生活条件の数々。ひとまずざっくりまとめると以下の通りになりました。
なぜ妖怪がそのような生態系になったのか、地域社会と結びつけながら知ることで、昔の人々の暮らしが浮き彫りになっていく過程は実に刺激的でした。やっぱり妖怪がいる世界は面白いし、生み出した人間の想像力ってすごい……!
本来ならこれらの生活条件をもとに鬼もかっぱも探索したいところですが、宙畑編集部のみなさんと相談した結果、今回はリソースの都合上どちらか絞ることに。ということで、後編ではTellusで「鬼が住みやすそうなエリア」を調査していきます。ひょっとしたら、新たな妖怪スポットが生まれるかも……?
<後編へ続く>
取材・文:黒木貴啓(ノオト)
編集:ノオト、宙畑編集部