ベテラン漁師「30年前にあったら、すごく楽になるでしょうね」 水産業の技術継承にAI活用の最前線
衛星データとAIを活用した漁業者支援ツール「トリトンの矛」を開発したオーシャンソリューションテクノロジー社と、トリトンの矛を実際に活用する株式会社タカスイの高須泰蔵さんにお話を伺いました。
AIを活用した漁業者支援ツール「トリトンの矛」で漁獲報告を可能にしたオーシャンソリューションテクノロジー。このサービスは、水産業の事務処理支援だけでなく本来の目標は効率的で生産性の高い漁業の実現と、若手の漁師さんへのスムーズな技術継承にあります。
オーシャンソリューションテクノロジーの水上陽介代表と、サービス開発を語る上では欠かせないベテラン漁師、株式会社タカスイの高須泰蔵さんに「トリトンの矛」について開発のきっかけから今後の展望までお話をうかがいました。
――まずは、宮崎県で大きな船団を運用するベテラン漁師さん、高須泰蔵さんに、船団の規模と今回キーワードになる「漁労長」というお立場について教えてください。
高須:うちの会社では3船団を運営していまして、そのメイン船団の漁労長という、漁場選定の権限をもって漁獲作業の指揮を執るまとめ役をしています。
高須:私たちは鹿児島の海域から長崎に近い熊本の方で操業していて、南の方では奄美大島と屋久島とかの中間、宝島の辺りまでですね。
基本的に夕方から朝まで操業しています。漁場が遠い場合はその場にアンカーを打ったあとその場で待機し、次の日も操業に入ります。1船団は5隻から構成されていて、大きな網を積む船が1隻、魚を探したり、照明をつけて魚を集める船が2隻、獲った魚を港まで運搬する船が2隻になります。
ベテランの操業技術を若手に継承できない? 水産業の課題のなぜ
――高須さんと水上さんとの出会いから、「トリトンの矛」開発にはどのようにつながっていったのでしょうか?
水上:おそらく5〜6年前だったと思いますが、福岡でトータルビジネスマネジメントの講師の方による経営者の勉強会がありまして、その受講仲間でした。講座の卒業時にビジネスプランコンテストがあり、その中で水産業における課題をAIで解決したいと話をしたところからスタートしています。
――当時浮上してきた、水産業の課題というのはどのようなことでしょうか?
水上:泰蔵さんから教えていただいたのは、泰蔵さんやもっと上の年齢の方々から世代交代していくタイミングで、ベテラン漁師が船から下りて若手に引き継いだ直後から漁獲量が急激に半分近くまで落ち込んでしまう懸念があるということでした。
これが1、2年でベテラン漁師のレベルまで回復できればよいですが、経験と勘の継承にはどうしても時間がかかります。ベテラン漁師が船から降りた後の漁獲減少をなんとかできないだろうか? という相談でした。当時私は「そんなの簡単に実現できますよ」とぽろっと言ってしまったんですね。そこで泰蔵さんから「簡単にできるって言ったんだから、やってよ」と。それで始まったわけです(笑)。
――技術の継承について、若手の方はベテラン漁師さんと一緒に漁に出ることで学ぶ機会があると思ってしまうのですが、継承がうまくいかないのはなぜでしょうか?
高須:機械の使い方といった操業技術は、1年ほどあればある程度は教えることができます。ただ、大きな方向性を決めたり、予見して動いたり、という行動に関しては最低でも5〜6年は必要ですね。
私は18歳から船長に憧れていました。私の2人の兄も一緒に船に乗っていまして、父のいとこであるベテラン漁師が、当時10〜20船団もある中でそのベテラン漁師の船団だけが魚を見つけて獲ることができたりと技術や勘はもう素晴らしいのですが、まさに勘で動いているわけです。
私が22歳ぐらいのとき、「どのように魚がいる場所を見つけるのか」と聞いてみたのですが、「なんとなく」としかその人も答えられない。教えてもらおうと思っても本人にも教えられないのです。
私も53歳という年齢になって、30年以上の経験が積み重なって「なんとなく」というのがもうできてきている。ですが、若い人がそこまで育つのを待っていたら時間がかかりすぎて、水揚げの低迷を招いてしまいます。AIを使って少しでもサポートしてもらえればと思ったわけです。
水上さんと一緒に勉強していたときに、20年分溜めていた操業日誌を見せて、私の甥など若い人たちに伝えるために、なんとかそのデータを日記ではない形にできないか、もっと過去を振り返りやすいようにできないかと相談したわけです。
水上:水産業界全体はすでに平均年齢が56.9歳になっています。経験と勘をつないでいくというのは非常に時間がかかるもので、これが10年、20年近くかかるとベテランの方は76.9歳まで指導しないといけない。それをできるだけ短くするのが目標で、まずは漁場を探すという部分をベテラン漁師の代わりにAIがサポートすることを目指しました。
サービス開発を後押しした高須さんの操業日誌の工夫
――20年分の操業日誌はどのように活かされていますか?
高須:私は、広い海の中で魚が居る漁場を選定する漁労長という役割になって6〜7年ですが、以前は兄が漁労長を務めていました。漁労長という立場になると、真剣にそうしたデータを見るようになります。見返す習慣はあるのですが、これを、若手が悩んだときに支えてくれるデータにできないかと思ったわけです。
水上:そこで、手書きでつけられている操業日誌を、ベテラン漁師さんが見返すときに何を考えているのか? ということを検討して、「今日の海況や気象状況に近いのは過去のどの時点だろう」という見方をされてるのだな、と考えたわけです。
そして、泰蔵さんがすごいのは20年分の操業データを10年日記を2冊という形で記録されていたことです。
「10年日記」というのは、1冊で10年分の日記をつけられるような体裁になっています。365日分の見開きがあって、たとえば7月1日の見開きには、2001年から2010年までの欄が並んでいて、そこに細かく操業の情報が付けてあるわけですね。
高須:過去の情報、「去年の7月1日はどうだったかな?」ということをぱっと調べられないかなと思って。10年ずっと使うので表紙はもうボロボロですけどね。
水上:いや、もう「すごいなあ」と思いましたよ。通常の操業日誌というのは、ほとんどの漁業者さんが普通の企業の日報のように、1ページに1日のことを書いていきます。泰蔵さんだからこそ、10年前まで遡れるようにきれいにきちんとつけていらっしゃった。
当時教えていただいたことですが、同じ海域でも10年前とは表面海水温が3度も違っていて漁場の形成が変わってきている。すると投網の深度も変わってくる。こういうことが10年日記という形式でわかるのです。このデータと衛星データを組み合わせれば、今後の水産業の未来に非常に重要なポイントになると感じました。
これがもし、1日1枚の日報形式だったらAIの開発ができなかったかもしれない、と思います。10年日記としてきちんと揃えられていたおかげで、AIで何ができるかというところが見えてきました。泰蔵さんとの出会いがなかったら、どこかで開発も心が折れていたのでは、と思うくらいです。
AIの先を行くベテラン漁師、AIを見て継承する若手漁師
――できあがってきた「トリトンの矛」を使ってみていかがでしょうか。
高須:開発中にもUIに関する会議に参加させてもらって、画面の見やすさなど私の意見も取り入れてもらったのでまったくの初見ではないのですが、今まで文字だったデータが地図上で「この魚がこの程度の量ここで取れました」と振り返ることができると全く違いますし、重い日記を持って過去のことを調べなくてもすぐ出てくるので、期待通りの良いものになったと思います。
高須:ただ、私の場合は経験をもとに自分で漁場選定ができるので、自分を信じて行動した後にAIの判断を見て「ここを示したな」と振り返るような使い方をしますね。
水上:やはりベテラン漁師さんがすごいと思うのは、AIの先を行っているケースがあることですね。
高須:海の状況が年々変わってきていて、たとえばある漁場で鯛が獲れる時期が過去3〜4年少しずつ早くなってきているんですね。10年前、鯛は3月はじめごろにしか獲れなかったのが、3年ほど前から2月中にもう獲れる。先読みして鯛を狙うようなこともできたりします。これは経験上の積み重ねで出てきたものなので、若い人だとまだなかなか出てこないかもしれないですが、この先AIでも判断してくれるようになるのではと思いますね。
――若手の方の反応はいかがですか?
高須:うちの3船団のひとつは30代の私の甥が漁労長ですが、若い人がAIを使いこなしていて、悩んだときに参考にしているっていうのはありますね。
また、若い人の意見として、ピンポイントの漁場だけでなく操業の流れをサポートしてほしい、と聞いています。3日、1週間というスパンで、今日はここへ行き、次はここへ、という流れがわかると、原油高で燃料費が上がる中で節約も考えた上で操業の計画をたてられるわけですから。
水上:泰蔵さんから次のバージョンの改善の話もすでにいただいています。AIの判断の元になる因子の重み付けの調整ですね。20年分の操業日誌を学習させたとしても、やはり直近の操業のデータの重要度を上げていく。ベテラン漁師さんは、AIが「明日ここで獲れそう」と判断しているときにすでにそこで操業して魚を獲っている、という先読みができる。ということは、前日の操業まですぐAIに反映することを想定しないと、やはりベテラン漁師にはまだまだかなわないのだと思っています。今後対応していくべき課題ですね。
大きな要望として、衛星データによる予測も求められています。予測情報は先程の「操業の流れ」を作るにしても必要です。ただ、過去の情報が大量に必要になる上に、コストが莫大に跳ね上がってしまうことにも繋がります。多くの漁業者さんに使っていただけるように、そうしたコスト面が考慮された開発ができる環境を整えてほしいと思います。
――環境面の整備として何が必要だと思われますか?
水上:ひとつは、予測機能を実現するにあたって利用できる海洋シミュレーションですね。なかなか民間企業が独自で海洋シミュレーションを行うのはハードルが高いです。大学などで研究を進めていただいて、産学官の枠組みなども活用して民間企業にそれを落とし込んでいただけるような流れができていくと理想的ですね。
衛星データにしても、JAXAの「しきさい(GCOM-C)」にしてもやはり観測頻度がまだ足りない。気象衛星ひまわりの雲除去画像も出てきつつはありますが、精度と頻度が揃っていかないと、と思いますね。さらにもう少し細かいメッシュで衛星データが取得できるとなお良いかと思っています。
そしてデータとサービスの環境が整ったとして、現場の漁業者さんが利用する段階になると、衛星通信のコストがかかってきます。洋上LTEの環境や、低コスト衛星通信があるとよいということで、SpaceXのスターリンク衛星にも期待しています。もちろん国産の海洋で使える衛星通信があればありがたいわけです。
もしも30年前に「トリトンの矛」があったなら~トリトンの矛のサービス名の由来~
――最後に、もし高須さんが30年前の若手のころに「トリトンの矛」があったなら、漁業のやり方がどのように変わっていたと思いますか?
高須:もし私が30年前に船団のトップの若手で、と考えてみると、もうすごく楽になるでしょうね。漁労長という仕事は数学のようにきっちりした答えがあるわけではなくて、ある選択した場所に行って、ある程度魚が獲れればその選択は外れではない。でも、ほかの船団に勝ったか負けたかと考えてみれば、水揚げのトータル量に差がつきます。ベテラン漁師が判断している月に1億円水揚げのある船団と、5,000万円にしかならない船団、という差がついてくるわけです。正解不正解じゃなくて常に負け続けてしまう。
その差を埋める、漁場を決めるにあたってAIのデータを見て、自分とAIが同じ選択なら自分の気持ちを後押ししてくれますし、自分の選択と違うなら「なぜAIはこれを選んだのか?」と考えると思います。結果的にAIの選択に乗り換えることもあるかもしれないし、いやいや、今は海水温が高くなっているからこっちだよ、と自分で判断をするかもしれない。
トップになって決断するというのはやはり不安もありますが、それをサポートしてくれるものが人ではなく、機械だったら気持ちが楽です。ほかの人の判断ですと、そればかり聞いてしまうかもしれないし、その人の漁場判定のほうが当たるならその人の方が能力があるということになる。AIなら、本当に100%サポートしてくれるわけですから気持ちはすごく楽になると思いますね。
そして、データやAIの判断は、私の上の世代や兄たちがこれまで頑張って漁をしてきた結果でもあります。私は兄たちのサポートに支えられているのだと思います。
水上:だからこそ、このサービスの名前を「トリトンの矛」したんです。トリトンはギリシャ神話の海神ポセイドンの息子で、父と同じ三叉の矛という道具を持っています。ベテラン漁師の経験と勘が詰まった「道具」を、次世代につないでいくという想いを込めています。泰蔵さんやお兄さんたちの経験と勘が詰まったデータに、さらに泰蔵さんの経験のデータも入って、次の世代につないでいくという意味のサービスなのです。