「成功のイメージは、一度も湧かなかった」はやぶさのメインエンジンを担当した國中均先生が今だから話せること
現在は総合研究大学院大学に所属し、元JAXA宇宙科学研究所長、小惑星探査機「はやぶさ」の成功に不可欠であったイオンエンジンの開発者である國中均先生と、Tellus Globalの代表取締役である山﨑秀人さんとの対談取材を実施。前編では、國中先生の失敗経験と乗り越えた話、また、はやぶさのメインエンジンにイオンエンジンを用いることになった裏話を教えていただきました。
2026年6月、総合研究大学院大学(以下、総研大)と衛星データプラットフォームを運営する(株)Tellus Global(以下、Tellus)は、相互に連携しながら人材・技術・資源・知見等を活用し、学術領域における教育・研究活動を一層推進するため、相互連携に関する協定を締結しました。
本協定において、Tellusは公募型の研究支援プログラムを実施し、選定された研究テーマに対して衛星データ・クラウド計算環境を提供するとともに、博士課程学生のインターンシップ受入れを担います。
提携の背景には、近年のデータサイエンスや高度な計算資源を活用した研究の高度化や、次世代人材の育成・イノベーション創出がより早く求められているという社会情勢があるとのこと。
実際に、宇宙業界においても、衛星データの利活用やAI利用に関する話題は増え、衛星データ利活用に限らず、宇宙業界の人材不足が課題として大きく取り上げられることが増えています。
同協定締結を記念し、宙畑では、現在は総合研究大学院大学に所属で、元JAXA宇宙科学研究所長、小惑星探査機「はやぶさ」の成功に不可欠であったイオンエンジンの開発者である國中均先生と、Tellus Globalの代表取締役である山﨑秀人さんとの対談取材を行いました。
前編では、國中先生のキャリアの出発点となったSFU(スペースフライヤーユニット)での挫折、はやぶさのイオンエンジンを引き受けたときの葛藤、國中先生と山﨑さんの出会い、そして帰還前に立ちはだかった着陸許可交渉までをお届けします。
本記事が、新しいことに挑戦しようとしている方にとっての刺激なり、背中を後押しする記事になれますと幸いです。
(1)10年かけた宇宙実験が、ひとつの熱設計で失敗した
宙畑:まずは國中先生のキャリアの始まりから教えてください。
國中:大学院を卒業して、就職をどうしようかなと思っていた時に、所属していた研究室の栗木先生から「助手で採用するよ」と言われたのがキャリアの始まりです。
当時は、栗木先生がスペースフライヤーユニット(SFU)という大型のプロジェクトを始めたところでした。
当時としては、日本の宇宙のアセットをすべて総動員するような大型事業で、まさにバブルの頃、予算が十分たくさんあった時に、日本も宇宙領域に飛躍しようという大きなチャレンジでした。
日本でさまざまな実験装置を積んだ5トンの衛星を作って、当時の主力ロケットであるH-IIロケットで打上げ、1年間宇宙活動を行ったあとに、若田光一さんがスペースシャトルに乗り込んで回収して、地球に持って帰ってくるという計画です。
ロケット、衛星、スペースシャトルまで、アメリカの協力もいただきながら進める巨大プロジェクトを始めた時で、栗木先生がプロジェクトマネージャーでした。
今考えると、栗木先生は、人手が足りなくて僕を採用してくれたんじゃないかなと思うところです(笑)。
私もSFUでは大きなポジションをいただき、太陽電池アレイを作って、宇宙で展開して発電させるというプロジェクトを任せていただきました。これは、自分の博士課程でやっていた課題を宇宙で実現して実験するというものでした。
ただ、最初は単独で高電圧ソーラー実験をする想定だったのですが、予算の都合上、ミウラ折りという折り畳み式の構造物の実験と合わせ、その構造物に太陽電池を貼ることになりました。
ああでもない、こうでもない……としていたところに、電気推進実験ともマージされ、電気推進実験、ミウラ折り実験、太陽電池実験が一緒になり、取りまとめは非常に苦労しました。
國中:そして、ようやく打上げにはこぎ着けて、電気推進実験とミウラ折り実験もうまくいったのですが、私のメイン担当であった太陽電池実験だけうまくいきませんでした。ずいぶん辛酸をなめたな、という経験です。
宙畑:原因は何だったのでしょうか。
國中:よくよく考えると、ひとつ、自分の配慮が足りなかったところがありました。温度の設計が、外部要因で設計値をかなり逸脱してしまって、そのせいで装置が一つ壊れてしまったのです。
10年規模で仕事をして、小さなエラーで実験がうまくいかなくなっちゃうということを身をもって経験しました。
そのため、次の新しい宇宙ミッションに挑もうとすると、また10年規模の活動となるわけですが、その時にはありとあらゆることに手を打っておこうと考えるようになりました。
その次がはやぶさだったんです。とはいえ、はやぶさの初号機はうまくいかないことばっかりでしたが何とか帰ってきて、その次のはやぶさ2は比較的うまくいったかなと思うところです。
(2)はやぶさの着陸を実現させた救世主が山﨑さんだった
宙畑:続いて、山﨑さんの経歴とお二人の出会いについて教えてください。山﨑さんははやぶさのプロジェクトに関わられていたとも伺いました。
山﨑:私は、大学卒業後、國中先生が所属されていた文部省宇宙科学研究所 (ISAS)とは別の組織である、科学技術庁系の宇宙開発事業団NASDAに入社しました。
しばらくNASDAで業務を行った後、当時の人事課長に「宇宙研に行きなさい」と言われ、今はなくなってしまいましたが、JSPEC(月・惑星探査プログラムグループ)という部署に配属されました。
そこで、相模原のキャンパスにお邪魔した時に、最初にご挨拶したのが國中先生だったというのが出会いですね。
國中先生は当時、川口先生のグループではやぶさをやっていて、もう一つ、セレーネという次のミッションをやっているグループがあって、その2つがプロジェクトとして動いている組織でした。
國中:ちょうどその頃は、はやぶさのカプセルを回収しなきゃいけないということで、ずいぶん苦しんでいた時期でした。カプセルを着陸させる予定のオーストラリアとの交渉が進んでいなくて、あと半年しかないよ……というギリギリの切羽詰まった状況。
宙畑:落ちることは分かっているのに、オーストラリアとの交渉が進んでいなかったのですか。
山﨑:着陸というのは法律行為なので、国際間では「一緒にやろう」ということになっているのですが、着陸するときにはちゃんと許可を取ってね、というのが取り決めで決まっています。
ただ、それが取れていなかった。というよりも、オーストラリアとしても初めてなので、どうやったら許可を出していいのか、分かっていなかったのかもしれません。これもあれも、と、どんどんリクエストが増えていく状況でした。
國中:現場対応は私が丸抱えしていたのですが、僕が技術系だったからこそ前に進められないことがありました。
というのも、探査機のはやぶさ自体ももうボロボロになっていたことはすごくよく分かっていて、「これは帰ってこられない、半分ぐらいは帰ってこられないな」と思っていたんです。
はやぶさが弱っているのに、いろんな手当てをいろんな方に頼めないんですよ。頼んでしまったあとで、壊れてもう帰ってこられないとなったら、頼むに頼めないなと……。
さらにそんな時に、一気にはやぶさが壊れちゃって。イオンエンジンが壊れて、動かなくなっちゃうんですよね。1週間か2週間ぐらい徹夜して復活させて、動き始めました。
宙畑:宇宙空間にある探査機を壊れて動かなくなったところから復活させられるのですね。
國中:僕の記憶では、はやぶさが復活した翌朝に、「先生、どうなりました?」と、山﨑くんが電話をしてきてくれました。
「ああ、動き始めたんですよ」と言ったら、大変親身に話を聞いてくれて、それ以降の活動を全部取りまとめてくれて、オーストラリアとの折衝から、お金が足りない問題から、全部面倒を見てくれて非常に助かりました。本当に九死に一生を山﨑君のおかげで助けてもらったな、というのが2009年の末です。
山﨑:結局、翌年の6月に帰還したので、半年ぐらい前ですね。
宙畑:当時の山﨑さんは、どういう思いで國中先生に電話をされたのでしょうか。
山﨑:ちょうど國中先生は韓国出張をしていたんですよね。そこで「探査機が壊れた」と。
國中:川口先生に「日本に帰ってきてください」と言われて。韓国に着いてすぐに帰国することになり、夜中の運用に入りました。
山﨑:JSPECが面白かったのは、旧NASDAと旧宇宙研の人たちが集まってできていたので、カルチャーが一つではなかったということです。
それぞれ得意なところで働いており、私を含めNASDAの人たちは、プロジェクトオリエンテッドなので、技術とは違うところが得意な人が多く、「頼まれてはいないんだけど、この情報はここまではこの人に流しておかなきゃ」といった「気を利かせる、アンテナを張る」ことが重要だと考えています。
そのようなことを考えながら動いているので、イオンエンジンが止まってから復活するまでの間は、プロジェクトを何とかしなければならない私の立場からするとステークホルダーマネジメントが非常に難しかったです。
JAXAの中の経営層にもちゃんと報告しないといけないし、宇宙研の科学推進部にもちゃんと報告しないといけない……。だからこそ、はやぶさが帰ってくるのかを知るために、國中先生から情報をいただくために、朝一番に電話をしたと記憶しています。
宙畑:ちょうど(イオンエンジンが復旧した)タイミングだったんですね。
(3)チェックリストは、作らないほうがいい
宙畑:國中先生のお話で、10年のプロジェクトでありとあらゆる手を打っておこうと考えるようになったというお話がありました。
その場合、「これを考えておかなければならない」というリストを作ろうとすると、とてつもない量になるのではないかと思います。
これは過去の蓄積で「ここは見ておくべき」というリストがあって、さらにその上に「もっとこれを考えなきゃいけない」と自分で編み出さないといけないものなのでしょうか。
國中:私達はアカデミア的なアプローチで、技術として、もしくは科学としての宇宙への挑戦で、リスト管理などのシステマティックな整理はされていません。
機械設計であるとか、熱設計であるとか、電気設計であるとか、電波の設計であるとか、そういう技術的な観点で、いろんな知識と、その知識に根ざした配慮、という意味です。
山﨑:川口先生は「チェックポイントを作ってやると、そこだけをチェックすることで逆に失敗するから、チェックリストは作らないほうがいい」と話されていましたね。
山﨑:宇宙研の先生方は、先生とお弟子さんの関係で口伝なんですよね。ドキュメント化されていないノウハウも多くあるように思います。
ただ、それがどのスケールまでできるのかは課題もあり、先生の目が行き届くプロジェクトは成功するかもしれない一方で、アルテミス計画のように大規模になると、アメリカ的なシステムズエンジニアリングやプロジェクトマネジメントをやって、チェックリストを作っていく形になると思います。
宙畑:そうやって世界初の技術であったり、実績が作られてきているというのも面白いですね。
國中:宇宙研も規模が大きくなったので、確かに、そういった緻密なマネジメントをしないとプロジェクトが成立しない、というふうになってきてはいましたね。
昔は、宇宙は本当に無人の世界だったので、小さいことでも、知ることが一番でした。
ところが、世界中がそれを競争し始めちゃったので、他の国はこのくらいやっている、そうすると、うちもこれだけやらないと間に合わない。
その場合、規模が大きくなるから、みんなでやらないと間に合わないので、ちゃんと整理されたステップで物事を作っていかないとできない、というレベルになってきてしまっているんだと思います。
ここから、宙畑編集部が準備したトークテーマが書かれた紙をめくりながらお二人にお話を伺いました。
(4)「お前のせいで小惑星にたどり着けなかった」と怒られているイメージしかなかった
宙畑:最初のテーマは「失敗・挫折することの意義」ですね。
山﨑:SFUでの失敗のお話もありましたが、先生のキャリアの中で、失敗や挫折はどのような意義があったと振り返られますか?
國中:まず、本当に立ち直れないくらいの大失敗は避けなければなりません。
そのうえで、小さな失敗で済んでいれば、再起もでき、その小さな失敗を修正するという時間の猶予をもらえれば、次のステップが踏めて、その小さな失敗を糧に次の挑戦ができる。そのようなサイクルを定期的に回す設計ができれば、これから挑戦する若い方々にとって、本当にいい経験になると思います。
宙畑:大失敗というのは、差し支えなければ、どのような状況になることを想定されているのでしょうか。
國中:今、昔のことを思い出しながら書籍の出版準備をしているのですが、はやぶさ初号機のプロジェクトで、メインエンジンをイオンエンジンにすると言った時が本当に心配でした。
メインエンジンということは、動かなかったら、小惑星に行く・地球に帰ってくるという話どころではありません。
当時としては、世界に先駆けた新しいイオンエンジンを研究開発していて。研究開発している以上、なんとか宇宙に持って行って実証したいですよね。で、実証するには、お金の話もありますし、プロジェクトにならないと、そういうチャンスが与えられないんですよね。
プロジェクトになるためには、あるタスクを背負わなければいけない。そのタスクが、地球から出発して小惑星までたどり着いて、小惑星から地球にまた帰ってくるというタスクで、それがうまくいかないと、もうミッション全損なわけですよね。
研究費や機会は欲しいけれど、それに見合うだけのタスクや義務がくっついてきちゃうわけです。
本当にやるべきなのか、自分が責任者としてそれに立ち向かうべきなのか、もしくは撤退するべきなのか……という葛藤がありました。
実際に「お前のせいで小惑星にたどり着けなかったじゃないか」と言って怒られているイメージしかありませんでした。それでもなんとか失敗しないように、あの手この手その手を考えて、手を尽くしたつもりです。
山﨑:成功するイメージはなかったのですか?
國中:全くなかったです。だから、「もうやめたい」「誰かに止めてほしいな」とちょっと思っていました。
川口先生も心配されていて、栗木先生に「これ大丈夫ですか?」と聞きに行ったらしいんですよ。私はその現場を知らないんだけど、ある本で読んだら、川口先生が聞きに行って、でも栗木先生は「弟子の國中が頑張るからやらせてほしい」と言った、と書いてあって。
奥さんにも「ちょっとやばい仕事を請け負うんだけど、これ、仕事を失うかもしれないけど、やってもいいかな」と言ったら、「まあ、いいんじゃないの?」と言われちゃって。「なんだ、止めてほしいのに」と思ったこともありました(笑)。
宙畑:そのような葛藤がイオンエンジン採用の裏側にあったとは。聞いているだけで胃が痛くなりますね……。やると決断したのは、ある意味、外堀から応援してくださる方がたくさんいらっしゃったからこそなのでしょうか。
國中:やはり、研究者としてはいろいろと競争があるわけです。それは、国内でも、世界でも。
また、イオンエンジンを研究しているグループはもともとあったのですが、研究はするけど、宇宙実証はしないという、どちらかというと逃避するマインドが強くありました。それはある意味、卑怯だな、それならば、私が一番にやるしかないなと思いました。
そのため、ある意味やめたいんだけど、自分ではやると決めているんだろうな、という気持ちはありましたね。
宙畑:その結果、大きな失敗とはならずに素晴らしい成果を挙げられたと思いますが、イオンエンジンにおいて小さな失敗の価値を感じられたのでしょうか?
國中:イオンエンジンも、初号機のイオンエンジンは正直ダメダメなイオンエンジンでした。
ただ、宇宙ではこんなことも起こるんだ、あんなことが起こるんだ、ということがわかり、はやぶさ初号機の運用と並行して技術開発を進め、次のミッションに備えることができ、研究も非常に進みましたね。それを全部まとめて次に打上げたのがはやぶさ2です。
おかげさまで全体としても、イオンエンジン単体で見ても良い成績で運用ができています。
宙畑:はやぶさ2は順調に行き過ぎて話題になりづらいという悩みを聞いたことがあるくらいにはプロジェクトが成功している印象です。その裏側には、はやぶさ初号機における失敗経験があったのですね。あらためて、はやぶさがイオンエンジンでよかったな、と思ったポイントは技術的にどのあたりでしょうか。
國中:まず、日本はアメリカに比べるとロケットが小さく、予算も潤沢にありません。イオンエンジンを使わないと、ロケットに見合う能力も、コストも成立しなかったのです。
例えば、はやぶさ2とアメリカのオシリス・レックスという小惑星探査機を比べると、オシリス・レックスは重さが約2トンある一方で、はやぶさ2は600キログラムで収まっています。
当然、重さに比例して予算も大きくなるので、日本は、1/3とか1/4程度の予算、質量で、同等の小惑星サンプルリターンを実現できました。これは、イオンエンジンだからこそできたことです。
山﨑:オシリス・レックスは化学燃料を推進剤に使っています。化学燃料を使うとどうしても探査機が大きくならざるを得なくなり、コストが増える。また、その分ロケットも大きくなり、雪だるま式にコストがかさんでしまうのです。
國中:日本はちっちゃくまとめられたから、ロケットも小さく、予算も大きくならない。というか、それしか持っていなかったので、日本がさまざまな科学技術ミッションに挑戦するうえで、イオンエンジンはなくてはならない研究テーマでした。
宙畑:この失敗・挫折というテーマについて最後にもう一つだけ教えてください。小さな失敗を重ねていくこと自体がすごく重要である、という話の中で、大きな失敗をしないように小さな失敗を重ねるために、國中先生が意識されている考え方はありますか?
國中:やはり技術的・アカデミア的なアプローチとしては、電気、熱、機械、構造設計の領域で、あの手この手その手を打っておく、ということが、私たちのできる最高のアプローチだと思います。お金であるとか、ロケットであるとかというところでは、手を打ちようがないので、私たちができる範囲で最大限を尽くすしかありません。
宙畑:その「あの手この手」というのも、人によって気づける人と気づけない人がいるようにも思います。はやぶさ初号機ではどのようなことを考えられていたのでしょうか?
國中:SFUの失敗を繰り返さないように、というのがはやぶさ初号機の時にはあり、いろんな手を、あらかじめ打てるものだったら打っておこう、というふうに思ってやりました。
例えば、有人ミッションとはやぶさのような無人ミッションでは、安全に対するアプローチが違うんですね。
無人ミッションについては、ワンフェイルオペラティブ(一故障許容)という言い方をするんですけれども、一故障に対して対策を打ちましょう、というやり方です。
そのセオリーに従って言うと、イオンエンジンは本来は3台で往復できるはずだけれど、それじゃ足りないから、1台加えて4台にしましょう、と。
これは一応、ワンフェイルオペラティブに対応した設計なのですが、私のイメージは先ほどの通り、おそらく怒られているだろうというイメージしかないので「これじゃまだ足りない、もうプラスアルファ何か入れておかないと、とっても足りないよね」というところが、発想の根拠です。
宙畑:そこで、クロス運転といったものが出てきているんですね。
宙畑メモ:クロス運転とは
「はやぶさ」に搭載された4基のイオンエンジンには、それぞれ、イオンを噴射して推進力を生む「イオン源」と、電子を放出して探査機の帯電を防ぐ「中和器」が備わっていました。通常は同じエンジンのイオン源と中和器をセットで使うところ、異なるエンジンのイオン源と中和器を組み合わせて使うことを「クロス運転」と呼んでいます。この仕組みは、國中先生はじめ開発チームが万が一に備えて設けていた回路によって可能になった運用で、実際に故障していない部分同士を組み合わせることで、地球への帰還を支えることとなりました。
JAXA|希望を現実にした「はやぶさ」のエンジン
(5)はやぶさの帰還から、失敗におおらかになった?
宙畑:先日、宙畑で元日本経済新聞の編集委員である小玉さんを取材させていただいた際に、日本の宇宙産業に対する目が変わったのは、はやぶさの帰還からだと教えていただきました。その実感は、お二人にもありますか?
國中:そうですね。やはり当時は、JAXAに3機関が統合される前だと、NASDAが大きな組織で、NASDAのやっていることが、失敗も含めて派手なものでした。宇宙研はその陰に隠れてこっそりやっている、という感じでしたね(笑)。
私としては、宇宙研なんて誰も知らないというふうに思っていたし、こっそりやっていて、「怒られる前にやっちゃえ」という気持ちもありました。
はやぶさ初号機については、打上げた後、(小惑星イトカワと)ランデブーしたぐらいに「あれ、すごいことやってるよね」と思われたんじゃないかな。いよいよ帰ってくるとなったら、大騒ぎになりました。
山﨑:もう明らかに変わったなと思うのは、JAXAの失敗に対しておおらかになったなというのは非常に感じますね。
はやぶさ初号機は、ミッション自体は成功しましたが、これまでのお話の通り、いろいろドラマが起きて、メディアにも多くとりあげていただきました。
技術的には各システムごとに失敗したところがたくさんある一方で、満身創痍の中、工夫と知恵で何度も課題を乗り越えてミッションとしては成功。非常に日本人的なストーリーが事実としてできたので、失敗してもいいんだ、次頑張ればいい、ということが、理解されるようになったと思います。
本来、公的研究機関はそうあるべきだと思いますが、当時はどこかで「失敗しちゃいけない」という雰囲気が、日本の研究開発を弱くするものとしてありました。
近年では、イーロン・マスク氏がロケットの打上げに失敗しても「そういうものだよ」と言っています。日本のロケットが失敗しても「ロケットは難しいな」と思っていただける、良い意味で寛容な、本当の研究開発ができる土壌が日本にもできるきっかけになったのは、私ははやぶさ初号機だと思っています。風向きがだいぶ変わったな、と本当に思います。
國中:松尾先生という、元宇宙研の所長で文部科学省の宇宙開発委員長を歴任されたレジェンドがいらっしゃいますが「最近はみんな優しくなったよな。俺たちの時は、失敗すると売国だって言われたんだ」と直接言われていたことがあります(笑)。
(6)はやぶさ帰還まで残り1ヵ月前。瀬戸際の交渉がもたらした功績
山﨑:あらためて、はやぶさ初号機が帰ってくるまでは本当に辛かったですよね。当時は内閣府ができる前だったので、宇宙開発委員会、文部科学省を訪問して帰還のシーケンスを説明した際に「もしも最後のイオンエンジンが止まったらどうなるんですか」と、聞かれたのを覚えています。
國中:「打上げ時に着陸の話もしているから終わっているじゃないか」と宇宙研の方が主張したけれど、最初の計画から変わってしまっていますからね。
山﨑:もしもイオンエンジンが止まってしまって、計画通りに行かない場合、最悪のケースだと人が住んでいるエリアに落ちてしまう可能性もあったので、私はどのように説明するのだろうかと思っていました。
國中:オーストラリアのウーメラ(砂漠)に落とすためには、TCM(Trajectory Correction Maneuver:軌道修正マヌーバ)といって、イオンエンジンをうまく稼働させる必要があります。最初は海のほうを狙って誘導して、最後に軌道を修正して落とす必要があります。必ず(人が住んでいるエリアの多い)海岸線を通らないと内陸部に入れないので、「この瞬間にエンジンが止まったらどうするんだ」ということですよね。
当時は「何時間も動いている実績があるので、(人が住んでいるエリアを避けるために必要な時間の)1分2分は大丈夫です。動きますよ」と説明したんじゃないかな。
山﨑:同じように、オーストラリア政府にも説明を出しましたよね。最終の審査会を宇宙研で開催し、はやぶさ初号機が持ち帰るサンプルを研究したいサイエンティストの方もお呼びして、「許可が出ないと、この人たちの仕事がなくなってしまう」と。
國中:川口先生にアイデアをいただいて、面白い、実現できれば早く許可が出るかもしれないと思って、リターン・リトリーバル・レディネス・レビュー(Return, Retrieval, Readiness Review)でR4ミーティングと名付けて3月にやりました。海外、日本合わせて100人以上は集まり、そこにオーストラリア政府の方にも来てもらいました。
タクシーのドアが勝手に開くとか、便座があったかいとか、そういったことに感動していただいた記憶があります。
そのうえで、TCMをやる前にチェックリストを作ってチェックしてもらって「じゃあ、これでオーストラリア政府も了承したね」と進めました。
6月に着陸するのに、3月になってもサインがなされず、最終的には1ヵ月前に最終的なものが出たと記憶しています。
宙畑:オーストラリアにはどのようなメリットがあるのでしょうか?
國中:ウーメラは、広い場所ではあるものの、基本的には経済が回る場所ではありませんでした。そこに宇宙事業を誘致でき、はやぶさのサンプルリターンだけでも50人が訪れます。リハーサル、レンタカー、ヘリコプターなど、ミッションの実現のために数億円規模のお金を使ったはずです。
たった数億円ではありますが、経済効果はあること、また、ウーメラの名前やバリューが上がったのかなと思います。
宙畑:去年、国際宇宙会議IACがシドニーで開催されてオーストラリアに行ったのですが、Vardaという宇宙から地球にモノを持ち帰るためのハードウェア開発とサービスを提供する会社が、まさにオーストラリアに(カプセルを)着陸させる発表をして多くの参加者の注目を集めていました。
宙畑:オーストラリア側もプッシュしていたので、はやぶさの実績というのは、本締結にも前向きなきっかけを作ったのではないかと思います。
前編を終えて
「成功するイメージはなかった」と振り返る國中先生の言葉が強烈に印象に残った対談でした。もしも國中先生が引き受けなければ、はやぶさ初号機の挑戦はそこで絶たれていたのかもしれません。
失敗の恐怖を乗り越えたうえで、致命的な失敗を避けるために、あの手この手を考えて備える。そして、挑戦したからこそ得られた小さな失敗から学び、次の挑戦に活かす。その経験がはやぶさ2の順調なミッション成功につながっているお話からは、挑戦を続けるための知恵と、その積み重ねの大切さが伝わってきました。
また、技術を磨く研究者とともに、プロジェクト全体を見渡し、関係者との調整や交渉を担う人の存在も欠かせなかったということも重要な示唆だったように思います。國中先生がイオンエンジンの復旧に力を尽くす一方で、山﨑さんが帰還に向けた準備を進めていたように、異なる専門性を持つ人がそれぞれの役割を果たすことで、挑戦は成果へと結びついていくのだと感じました。
そうして生まれた実績は、サンプルリターンという一つのプロジェクトの成功にとどまらず、宇宙産業全体や関わった関係各所にも良い影響をもたらしました。
後編では、プロジェクトを成功させるために必要なこと、そして次の挑戦を担う人材をどう育てていくかについて、さらに話題を広げて伺います。研究と事業、それぞれの現場を歩んできたお二人の言葉を、引き続きお届けします。

