元衛星国ブルガリアを、衛星国時代のガイドブックで、衛星に関係ないもの縛り観光
元衛星国ブルガリアを、30年前の衛星時代のガイドブックを携えて観光してきました。せっかくなので、衛星に関係のあるものは使わない・食べない・飲まないというルールを設けてみました。果たしてライターの地主さんは無事1日を終えられたのでしょうか……。
衛星国というものがある。国家としては独立しているけれど、主要な政策などは別の国に制限されていたり、その国に常に追随していたりする国のことだ。ソ連時代のロシアには多くの衛星国が存在した。
特にソ連の衛星国として有名なのが「ブルガリア」。正確には「ブルガリア共和国」だ。「ソビエト連邦の第16番目の加盟共和国」と言われたほど。そんなブルガリアを、衛星国終了直後のガイドブックで旅したいと思う。ついでに、衛星国ではなくなったので、人工衛星を使わずに旅したい。
約30年前のガイドブック
ガイドブックというものがある。地図や観光名所、美味しい料理のお店が載っている、どこかに行く際に便利な本だ。毎年最新版のガイドブックが出ているけれど、古いガイドブックもまた面白い。出版された当時の、その土地の空気を知ることができるからだ。
「東欧の旅」という1990年に出版されたガイドブックを手に入れた。今回はガイドブックの一番初めに載っている「ブルガリア」を旅したいと思う。今から29年前のガイドブックということになる。かなり昔だ。
1990年、ボイジャー1号が世界初の太陽系の写真撮影に成功し、イラクがクウェートに侵攻した。日本ではポール・マッカートニーが初来日公演をし、任天堂がスーパーファミコンを発売した。そんな年のガイドブック。ブルガリアも激動の年だった。
ブルガリアは1947年にソ連が起草した「ディミトロフ憲法」を大国民会議で通過させ、「ブルガリア人民共和国」となった。1973年には当時のブルガリアの最高指導者であるジフコフが「ブルガリアとソ連は同じ肺で呼吸し、同じ血液で栄養が運ばれる一つの肉体として行動する」と言っている。お手本のような衛星国だったのだ。
しかし、1989年にクーデターが起きて、共産党独裁体制が崩れ、1990年にブルガリア共和国となる。衛星国でなくなったのだ。このガイドブックが出版された1990年は、民主化に向けていろいろと整備されている真っ最中。そんな時代のガイドブックでブルガリアに行くのだ。
せっかく衛星国でなくなったので、24時間限定で人工衛星を利用している可能性があるものは使わずに旅したいと思う。世界初の人工衛星「スプートニク1号」もソ連が打ち上げたものだし。現代において、人工衛星の恩恵を受けていないものだけを使う旅は、どのようになるのか、当時のガイドブックで迷わず旅できるのか、ドキドキの旅の始まりだ。
レーニンの影
ブルガリアへは直行便が飛んでいない。それはガイドブック当時と変わらない。ドーハ経由で20時間ほどかけて、ブルガリアの首都「ソフィア」に到着した。機内でWiFiが使えたのだけれど、飛行機のWiFiは人工衛星を使っている。人工衛星は便利だ。
ソフィアの中心街に「レーニン広場」というものがある、とガイドブックに記されている。地図を見てその場所に行く。街並みは美しくヨーロッパだな、という感じがする。治安もよい。緑も多い。いい国だ。
街の形は変わっていないようで、迷わず目的地に向かうことはできる。レーニン広場にはレーニン像もあるそうだ。ブルガリアなのに首都の中心街にある広場がレーニン広場で、さらにレーニン像があることが面白い。レーニンはソ連の人だ。動物園のど真ん中にマグロの銅像がある感じだ、たぶん。
同じアングルで撮影したかったのだけれど、昔のガイドブックでは向かい側にある「シェラトン・ホテル・ソフィア・バルカン」から撮ったようで、そのホテルに入ることができず、低いアングルになっている。ただ建物などは変わっていないようだ。むしろ、そのホテルが少し変わっていた。
そして、レーニン広場は残念ながら、レーニン広場ではなくなっていた。建物などは当時から変わりはないけれど、現在は「スヴェタネデリャ広場」になっている。衛星国でなくなったブルガリアからは徹底的にレーニンが消されているようだ。
レーニン広場にはレーニン像もあった。果たして現在はあるのか、とドキドキする。この流れから察するにないだろう。レーニンをすべてなかったことにしている感じだ。その場所に足を運んだ。
やっぱりなかった。明確な場所はわからないのだけれど、当時の写真と見比べてここだろうという場所は、草が生えていた。国が変わるとは、こういうことなのだろう。名残もない。完全犯罪のような完璧な消されようだ。
人民共和国の父
次はゲオルギ・ディミトロフ廟に行きたいと思う。ゲオルギ・ディミトロフは「ブルガリア人民共和国の父」と言われ、同国の初代大統領。その遺体が安置され、入り口には正装した衛兵が立っており、昼間は1時間、夜間は2時間おきに、衛兵交代のセレモニーが行われるそうだ。
現在のソフィアには地下鉄やバス、トラムやトロリーバスが走っている。昔のガイドブックを読む限り、当時は地下鉄がなかったようだ。ただどちらにしろ、これらには人工衛星が使われていることがあるので、今回は乗れない。たとえば地下鉄の工事により地盤に変化がないか人工衛星をが利用して調べていることがある。
宙畑メモ
人工衛星で2回同一地点を観測し、その結果を比較することで、地盤の変化を確認することができます
バスやトロリーバス、トラムは「金属」が使われている(地下鉄もそうだけど)。金属の採掘に人工衛星が使われていることがある。つまり人工衛星を使わない旅なので、乗れないのだ。人工衛星が使えないと基本的な移動手段は断たれることになる。
宙畑メモ
衛星を用いた金属資源探査は古くから行われており、古くはLandsat-4(1980年代~)のデータを用いて鉱床の探索が行われていました。
途中に「共産党本部」があった。大きな建物だ。昔のガイドブックの写真を見ると一番上に「星」があることがわかる。これはレーニン主義に基づく共産主義のシンボル「赤い星」だ。現在はどうなっているのだろうか。
建物自体は今も残っているけれど、共産党本部ではない。政府機関が入っているようで中に入ることはできない。赤い星はなくなり、ブルガリアの国旗が風で揺れていた。小さな違いだけれど、大きな変化だ。
共産党本部に入ることはできないけれど、地下を見ることはできる。昔のガイドブックによれば、「セルディカの遺跡」が広がるそうだ。無料で見ることができるので嬉しい。要塞都市セルディカの大規模な遺跡だ。
共産党本部を後にして、ゲオルギ・ディミトロフ廟を目指す。先に載せた1965年頃のソフィアの写真では建物の外に赤旗がはためき、ブルガリアがソ連に忠僕であることがよくわかった。ただ現在、赤旗はない。そんな変化を楽しみながら、ゲオルギ・ディミトロフ廟に到着した。
びっくりだった。完全になくなっていた。基礎的なものは残っているけれど、建物自体はない。昔のガイドブックではかなりスペースをとって、オススメしてくれているけれど、ないのだ。ちょっと探したもんね、なんの説明もないから。
ゲオルギ・ディミトロフ廟がなくなったので、当然セレモニーもない。なんとなく私がセレモニーをした。今は芝生が綺麗で、噴水のあるほ「公園なのだ。後で調べてみると1999年になくなったそうだ。約30年、いろいろな変化がある。
食べられない問題
昔のガイドブックを見ると、ブルガリア料理の基本は野菜と肉をふんだんに使った煮込み料理とある。ぜひ食べたいと思う。旅の醍醐味の一つは料理だ。スーパーに行けばヨーグルトやお惣菜が並び、市場に行けば野菜が並んでいる。
ただ食べられないのだ。それはなぜか、人工衛星を使わない旅だからだ。たとえば、牛を育てるために、牧草地を衛星画像診断していたりする。野菜を作る畑では、収穫時期を判断するのに衛星からの情報が利用されていたり、耕す時にGPSが使われていたりする。そうしたトラクターは北海道に行けば簡単に見ることができる。
ブルガリアの社会主義時代は農業に力を入れていた。1980年代、ブルガリアが輸出できる高い品質のものは農産物しかなかったほどだ。しかし、現在のブルガリの農業は遅れているようで、機械化はあまり進んでいない。つまり人工衛星を使っている農家さんは少ないと思われる。日本ではバンバンだけど。
今回の人工衛星を使わない、は世界基準。日本でも、GPSはもちろん、作物中の水分量を推定するために人工衛星を使っている。ブルガリアも今後はそうなるだろう。農地の8割は100ha以上の大規模農家が占めているので、人工衛星を使い農業をすると効率的になるからだ。現状はあまり使われてなさそうだけど、今回は世界基準だから。
農作物が食べられない。肉もダメ。漁業にも人工衛星が使われているので魚もダメ。つまり何も食べられないのだ。我々の生活が如何に人工衛星により成り立っているのかがわかる。ちなみに水も地下水調査に衛星データが使われている。
宙畑メモ
例えばRTI社では、光学衛星やSAR衛星の情報を組み合わせて、地下水を探索している。
ただし買った水ではない(前日に飲み干したペットボトルを再利用してはいます)。温泉を飲んでいる。温泉も現在は人工衛星を使い掘るけれど、ソフィアには古大浴場があり、現在は浴場こそないけれど、市民が飲めるようになっているのだ。
昔のガイドブックに「バーニャ・バシ・モスク」が載っている。イスラム寺院独特の尖塔が印象的とある。ブルガリアがトルコの支配を受けていた名残だ。ポイントは「バーニャ」。ロシア語で「風呂」を意味する言葉だ。
このモスクのすぐ隣に、上記の温泉を汲めるところがあるのだ。古代からある温泉なのでセーフということで飲んだ。特に味はせず美味しい。あと、たまに飛行機の機内食についていた塩を舐め、塩分を補給している。塩も人工衛星を使っていると思われるけれど、死ぬからセーフとした。
宙畑メモ
海の塩分濃度も、衛星の観測結果から知ることができるようになってきています。
変わらないものたち
昔のガイドブックでソフィアを歩くと、なくなっていたり、変わっていたりするものが多かった。もちろんそのようなものばかりではない。あまり変わっていないものもあるのだ。よく観察すると変わっているけれど。
1981年に建造されたソフィアの新名所「人民文化宮殿」。コンサートホールのようだ。非常に大きな施設だ。地下鉄ができていたり、コンサートをする人の大きなポスターが貼ってあったりなど変化はあるけれど、たいした差ではない。
1990年のセント・ゲオルギ教会
昔のガイドブックには、シェラトンの中庭に残る古代ローマ時代からの教会跡、とある。現在もシェラトンの冠がなくなった「ホテル・ソフィア・バルカン」の中庭にある。教会自体に変化はないけれど、背景をよく見ると近代化されている。
当時はなかったパラボラアンテナが設置してあった。衛星国ではなくなったけれど、人工衛星は使っているのだ。もっとも衛星国時代の1981年にブルガリア初の人工衛星「ブルガリア1300」を飛ばしている。いろんな意味で衛星に積極的な国ではあったのだ。
自由公園は、ブルガリア最後の王となったボリス3世の遊び場として19世紀に造られた360haにも及ぶ大きな公園だ。「皇太子の公園」とも言われていたそうだ。どうやら今は「ボリス公園」と呼ばれているようだけれど、公園としてはあまり変わらない。
2019年の自由公園(ボリス公園)には遠くの塔のようなものが見えなくなっていたけれど、塔はキチンとあった。木々が成長して見えなくなっていたのだろう。緑が綺麗な、いい公園だった。ブルガリア、美しくて本当にいい国なのだ。
街は綺麗だし、人は優しい。第二次世界大戦中の1944年、ブルガリは数時間ではあるが、日本を除く参戦国の全てを敵に回した唯一の国だったりもしたけれど、本当にいい国でまた行きたいと思っている。
社会主義時代の1970年に日本で開催された大阪万博にも参加している。そこで株式会社明治のスタッフがブルガリアヨーグルトと出会い、日本初のプレーンヨーグルト「明治ブルガリアヨーグルト」が生まれた。日本のヨーグルトはブルガリアのおかげなのだ。ありがとう、ブルガリア。
ホテルも最近の建物だと人工衛星を使って建てられているので、古いアパートメントを使ったホテルに泊まった。お腹が空いたのでカロリーメイトは食べたけど、セーフということにして欲しい。この日、20キロ以上を歩いたのだ。だから許してちょ。
24時間たったので、人工衛星を使わない生活が終わった。その途端にハンバーガーは食べるし、移動に公共機関を使うしで、人工衛星三昧の生活を送った。わかったことは、超便利で最高ということだ。衛星国がどうなのかはわからないけれど、人工衛星は最高だ。よりブルガリアをいい国だと感じた。
昔を旅する今
ということで、社会主義時代の名残を色濃く残すガイドブックで、ブルガリアの首都「ソフィア」を旅した。歴史を感じる変化があり楽しいものだった。同時に人工衛星を使わなかったので、現在の我々の生活が人工衛星ありきなのもよくわかった。衛星が旅に便利さ、安全、楽しさを生むのだ。身にしみてわかった。
※記事内で引用した書籍で、出典の記載がないものはすべて昭文社「エアリアガイド158東欧の旅」(1990年)からの引用です。
オマケ
1990年付近の衛星データも、無料で公開されています。
例えば首都ソフィア近辺の1989年と2019年の衛星画像を並べてみます。
光学画像だと少し分かりにくいので、植物と都市部の区別がつきやすくなるように、False colorで表示してみます。
ご自身でどこが変わっているか、詳細に見てみた方はこちらのリンクから無料でご覧になれますので、ぜひアクセスしてみてください。