今夜は奈良でブラヒトシ!~第一回:奈良が発展したのはなぜ?~
Tellus OSを使って、地形と歴史の関係を探る不定期連載 第一回目は奈良で、ブラヒトシ。
2022年8月31日以降、Tellus OSでのデータの閲覧方法など使い方が一部変更になっております。新しいTellus OSの基本操作は以下のリンクをご参照ください。
https://www.tellusxdp.com/ja/howtouse/tellus_os/start_tellus_os.html
某大人気番組が大好きな地理オタクであるTellusメンバー・ヒトシさんが、“ブラブラ”Tellus OS を眺めながら知られざる街の歴史や人々の暮らしに迫る「ブラヒトシ」。
様々な地理データを使いながら、街の新たな魅力や歴史・文化などを再発見します!
第一回は奈良で、ブラヒトシ。
誰もが小学校で一度は習う、平城京の都「奈良」。「奈良時代」と時代の名前にもなる「奈良」ですが、なぜこの場所が選ばれたのでしょうか?奈良の発展した理由を地形からに迫ります。
【登場人物紹介】
・ヒトシさん:Tellusの営業マン。鉄人スポーツマンにして、熱狂的な地理オタク。
・ムタ:Tellusビジネス企画担当。宙畑では編集部も担当し、ブラヒトシでは進行役を務める。地理も歴史も学校の授業では習ったけど、いまいち分かってない。
・Dr.タナカ:宙畑が誇る超高性能検索エンジン。欲しいデータをなんでも瞬時に提示してくれる。
※尚、本記事は土曜日19:30~放送される某大人気番組とは一切関係がありませんが、番組を愛してやまないメンバーでお届けしています。
(1)縄文時代、奈良は湖の底だった?
今回のテーマは、奈良ということで、衛星データプラットフォームTellus OSでも早速見てみましょうか!
おーっ!いいね!Tellusでそういうことしていきたいよね。日本の歴史は地形から全て始まるからね。
そこが「奈良盆地」だね。
Tellusに搭載されている標高データを重ねてみましょうか。
緑が標高の低い土地、黄色や茶色が標高の高いところですね。
はっきり見えてるよね、奈良盆地には飛鳥時代まで、湖があったという学説があるんだよ。
湖ですか?
そうだよ、縄文時代や弥生時代の遺跡の場所を探ると見えてくるんだよ~。
日本史復習メモ
今回扱う日本史の時代は以下の通りです。
・旧石器時代
・縄文時代(前14000~)
・弥生時代(前4世紀~)
・古墳時代(3世紀~)
・飛鳥時代(592~)
・奈良時代(710~)
なるほど。じゃあ、遺跡の場所もTellusに重ねてみましょうか。
縄文時代と弥生時代だけの遺跡の位置情報ファイルは公開されていないようです。奈良県公式の奈良県遺跡地図Webより抽出し、Tellusで読み込み可能なGeoJSON形式に変換します(変換の仕方の詳細はこちら)。
・元データ(google スプレッドシート)
※宙畑が手作業でピックアップしたものであり、全数ではありません。また、位置の精度はおおよそのものとなります。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代の奈良盆地周辺の遺跡のGeoJSONファイルを出力します。
・旧石器時代(GeoJSONファイル)
・縄文時代前期(GeoJSONファイル)
・縄文時代後期(GeoJSONファイル)
・縄文時代晩期(GeoJSONファイル)
・弥生時代前期(GeoJSONファイル)
・弥生時代晩期(GeoJSONファイル)
※拡張子をgepjsonにして保存すると、Tellusで読み込めるファイル形式になります。ブラウザ上では一部文字化けしますが、ローカルに保存すると直ります。
おお~、なにこれ今作ったの?これがTellusで表示されるの?すごいね!
Tellus OSで読み込んで見ますね。右側の [取り込みマップ] というところからファイルを読み込むことができます。
ほら!旧石器時代は平地であんまり見つかってないでしょう!これがかつて奈良盆地に湖があったという証拠なんだよ!
ちょっと見えづらいですがさらにズームしてみると、旧石器時代の遺跡が見つかっているところも、少し高い位置にありそうですね。すごい!
実際にはこの時代から地盤変動などがあり、地形や標高自体が変わっている可能性もあるのでこれだけで決まるわけではないんだけどね。
なるほど。
縄文時代に入ってさらに晩期や弥生時代になると、平地側でも遺跡が見つかっているね。人々が干上がった後の堆積物が溜まった肥沃な土地で農耕を始めたってことだよ。
そういえば、弥生時代に人は農耕を始めたって学校で習いましたね(遠い目)。
証拠はまだある。縄文時代や弥生時代から利用されていた「山の辺の道(やまのべのみち)」という古道があるんだ。
「山の辺の道」もGeoJSONファイルにしておきました。
山の辺の道は、ヤマト王権のあった纒向(まきむく)と奈良を結んでいる道なんだけど、平地がこんなにあるならどうしてこんなに山の縁に道を作って歩いていたと思う?
平地は水が張っていて歩けなかった?
そういうことだ!!!
(2)溜まっていた水はどこから流れた?
でも、こんなに大きな湖の水はどこから流れ出てしまったんでしょう?
もう一度、標高データを見てみようか。
生駒山と金剛山の間に切れ目があるのが分かる?ここから大阪湾に流れ出していたんだ。
奈良湖の水の流出経路としては、今の大和川に沿って流れる流路と、関屋地域を通る流路の二通りが考えられているようです。(参考文献 [1])
この頃は大阪平野も海だったから、このあたり一帯は全部水の中だったんだね。
地層が分かれば水の中で堆積物が溜まったり、貝殻が溜まったりっていうのが明らかにできると思うんだよね。湖の中じゃなかったら、そういった情報はでて来ないわけだから。
地層情報であれば、産業技術総合研究所が開発した地質図Naviがあります。
大阪平野と奈良盆地は同じ地質のようです。
おおおーすごいじゃん!!なにこれ、かっこいいね!
地質図Naviの凡例を読み解くと、薄い青と薄い黄色が堆積岩系なので、水の底だったかもしれないということですね!
関屋地域の詳しい地質の調査結果が参考文献[1]にありました。関屋地域の中でも特に北側が再堆積をした層なのではないかと言われているようです。
すごいじゃん!!今の時代、ネットでなんでも調べられるんだね!
大和川の方は「亀の瀬」と呼ばれる地域ではよく地すべりがあったことが知られているんだ。大和川が塞がれたときに、関屋地域を通っていたのかもしれないね。
現在の地形ではありますが、海面が上昇したらどのあたりまで水に浸かるのかというシミュレーションが公開されています。奈良湖のイメージと近いかもしれません。
(3)古墳時代は大阪も海?
さきほどさらっと流してしましましたが、「この頃大阪は海だった」とひとしさんおっしゃってましたか?
そうだよ、それも標高データを使ったらみえるはずだよ。大阪城のあたり、上町台地を見てごらん。
かすかに大阪城のあたりが高く見えるような、見えないような、、、Tellus OSの色の付け方だとこれが限界かもしれないですね。APIで取る方はもう少し詳細にデータが見えるのですが。
俺にはちゃんと黄色く(高度が高く)見えてるけどね(キリっ)。
大阪城のすぐ脇に難波宮(なにわのみや)という遺跡があるんだ。難波は古墳時代、海から荷物を揚げる港の役割を果たしていたんだ。つまり、すぐそばに海があったってことなんだよ。
先ほどの地質図Naviでも、難波宮周辺が見えているようです。
ほらみろー、上町台地見えてるじゃん、かっこいいー!
(かっこいい・・・?)
(4)あなたもTellusでブラヒトシ!
はい、ということで、ブラヒトシ第一回目は奈良をご紹介しました。ひとしさん、いかがでしたか?
いやー楽しかった!こういう風に、Tellus OSを使ってくれたら嬉しいね!
そうですね、標高データ眺めているだけでもこんなに面白いですからね、実際に街に出てみるのもやりたいですね!
いいじゃん、鎌倉街道とかどう?ネタはいっぱいあるよ!
いいですね、行っちゃいますか~!それでは今日はこのへんで、ありがとうございました!
ありがとうございました!
参考文献
[1] 関屋地域の大阪層群の層序と古水流方向からみた"奈良湖"の水の流出口について 横山 卓雄, 中川 要之助 地質学雑誌 1974 年 80 巻 6 号 p. 277-286
[2] 第四紀初頭における大和川の変遷 : 古奈良湖の水は、どこから流出したか 中川 要之助, 横山 卓雄 日本地質学会学術大会 第77年学術大会(1970静岡)
[3] 奈良盆地の最上部更新-完新統 松岡, 數充; 西田, 史朗 長崎大学教養部紀要. 自然科学篇. 1980, 21(1), p.35-47
[4] 古奈良湖の変遷 : 第四紀初頭の斑鳩水道 : 第四期 中川 要之助, 横山 卓雄, 石田 志朗, 竹村 恵二, 檀原 徹 日本地質学会学術大会 第84年学術大会(1977 高知)