博報堂が考える宇宙利用、ビジネスの鍵は「不便益」にあり?
衛星データの制約条件を、不便益という考え方に沿ってポジティブに捉えられる形として、サービス化を検討している博報堂。不便益とはどのような考え方なのか、不便益を利用することでどのようにサービスアイデアを考えることができるのか、お聞きしてきました。
身近に使われ始めた衛星データ。
宙畑でも多くの衛星データを利用したインタビューや解析事例を紹介してきました。
その中で共通する課題として上がるのが、衛星データの制約です。
衛星データには利点も多くありますが、分解能や撮影頻度、撮影タイミングの観点など、制約もさまざまにあることを感じている読者の方も多いのではないでしょうか。
この制約をうまく活かし、逆転の発想でサービスを検討しているチームがありました。
それは、広告代理店として名前を聞いたことがない人はいないだろう株式会社博報堂です。
では、博報堂はどのような宇宙ビジネスを検討しているのか。
博報堂ビジネス開発局の野坂 泰生さん、博報堂 DY ホールディングス マーケティング・テクノロジー・センターの加藤 博司さん、藤原 晴雄さん、安永 遼真さんにお話を伺いました。
■博報堂が考える宇宙ビジネスの今とアイデアの種
—昨今の宇宙ビジネスについて、どのように捉えられていますか?
昨今の宇宙ビジネスアイデアを俯瞰すると、大きく 2つのタイプに分けられると考えています。
1つは、宇宙空間自体を商材とするサービス開発であり、宇宙旅行がその代表例でしょう。もう1つは、宇宙空間をメカニズムに組み込むシステム開発で、代表的なものとしては、衛星データを活用するビジネスがあると考えています。
いずれのタイプにおいても、これまで体験したことのない、もしくは、利用が十分に進んでいない宇宙空間を、そのビジネスのエッジ(優位性)としていると言えます。
–貴社の宇宙ビジネスアイデアについて、これまでの検討状況を教えてください
博報堂では、生活者起点での宇宙活用の検討を進めています。2020年7月には、社内ワークショップという形で、新規事業開発を専門とする SEEDATAをファシリテーターに据え、衛星データを活用する形でのビジネスアイデアを検討しました。
その過程で、衛星データは世界規模の変動を俯瞰的に、かつ時系列で可視化できることに強みがあると理解できました。
一方で、ビジネスアイデアを提供する観点で考えた時には、宇宙空間の優位性を継続的には見つけにくい案も多くなると感じています。それは、サービス側に立った時、衛星データの代替となり得るデータも多いということ。
つまりは、宇宙空間を利活用する目新しさで訴求し、ユーザーを引きつけることはできるかもしれないものの、目新しさのみでは継続的な訴求は難しく、離脱するユーザーが多いのではないか、ということです。
—その中で、貴社が宇宙ビジネスに注目しているポイントとは?
我々は、宇宙空間の“不便”さに注目しています。基本的に、地球上で暮らす人類が無重力環境である宇宙空間に滞在するような宇宙旅行は、人類に“不便”を強いることになります。また、世界規模でないような地上変化の様子をサービスに活用するようなビジネスでは、衛星データの代替となり得るデータは多い、つまり、衛星データにこだわると時間や空間分解能などの観点からは“不便”となります。
しかしながら、世の中には、“不便”さを逆手にとってサービスに落とし込み、その“不便”さに惹きつけられるユーザーも一定数存在します。このような、人が“不便”に惹きつけられる考え方の1つとして私たちが注目しているのが“不便益” という考え方です。
■宇宙ビジネス拡大のヒント「不便益」とは
–不便益について詳しく教えてください
不便益とは、不便から得られる益、不便のもつ効用に積極的な価値を見出していこうという考え方で、京都大学情報学研究科とデザイン学リーディング大学院で教鞭をとられていた川上浩司博士(現京都先端科学大学教授)が提唱された概念です。
博報堂では、2019年より川上博士と共同研究を開始し、様々な企業のマーケティング施策から、提供者側の取り得る手段としての不便と、受容者側が感じる情緒的な益の抽出を行い、それぞれ7つに分類しています。
不便益は、特に制約のある不自由な環境でこそ、その効力が発揮されるというユニークな特長をもちます。
例えば、学校の遠足でよくある「おやつは300円まで」という制約は、前日に半日をつぶしてスーパーをうろつき、自分ならではの組み合わせを考え抜くといった楽しい思い出につながりますよね。普段の生活にもこのような制約を設けることで、新しい楽しみに活かしていこうという発想が生まれるのです。(不便「限定せよ」→益「楽しい」)
他にも、ジェットコースターにわざわざ目隠しをさせて乗せる遊園地がありますが、単なる物珍しさからではなく、視覚以外の感覚を研ぎ澄ませることにつながるので、視覚情報はなくなるものの普段とは異なる観点で楽しむことができるため、客に好評を得ています。(不便「劣化させよ」→益「楽しい」)
そして、この不便益の考え方は、制約の宝庫といえる宇宙空間にこそ活かせると私たちは考えています。
■宇宙ビジネスx不便益~宇宙空間の不便が地上の生活を快適にする!?~
–実際に不便益の考え方を宇宙ビジネスにあてはめた場合の具体的なアイデアを教えていただけますか?
まずは、宇宙旅行のような宇宙空間自体を商材とするサービス検討が分かりやすいでしょう。
宇宙空間自体をビジネスに活用しようという試みは以前から行われています。例えば、宇宙船内で広告を制作したり、宇宙飛行士への食事や装身具などの提供を通じて協賛したりするといった活動です。ただし、これらの試みは宇宙飛行士の宇宙空間での活動や宇宙船での滞在を、単なる非日常の体験以上の枠で捉えることができておらず、非日常空間での物珍しい広告・PR という対価が限界のように感じます。
直近では、2020年7月、宇宙での貴重な体験を地上での生活に活かしていこうとするJAXAの取り組み「THINK SPACE LIFE」がスタートしました。これは宇宙生活の課題から宇宙と地上双方の暮らしをより良くするビジネス共創プラットフォームであり、日本の名だたる企業がインキュベーションパートナーとして名を連ねています。
そこでは、暮らしやヘルスケア分野の新しい事業のタネを掘り起こし、研究開発やビジネス創出を後押しする取り組みが行われ、企業等に対しアイデアの企画から商品・サービス開発に至るまでのインキュベーション機能や、企業間・産学官連携を促進する横断的コミュニティ活動の場を提供するとしています。
このような取り組みにも不便益の考え方は役立ちます。
例えば、睡眠をとるとき、無重力の空間で本能的に狭い場所を探してそこに収まると熟睡できるという宇宙飛行士の声があります。
宇宙船の中は常に一定環境に保たれているため、寒暖や明暗など気にする必要もなく、何も考えずに寝てしまうと、無重力環境なこともあり起きたとき船内のどこに留まっているのかわかりません。だからこそ、狭い場所に収まり、自然と体を庇う態勢をとると安眠できるということなのかもしれませんね。地上の生活で考えると、布団で寝るという習いも、ただ単に暖かくして眠るという機能を求めているのでなく、自然と体を庇う態勢になることで安眠できるからかもしれません。
ちょうど、狭い箱の中に入りたがり、入ると落ち着くという猫の習性に似ていますよね。これらの情報を整理すると、寝具の在り方が変わるきっかけになり得ます。
この「人間は単に暖かくして眠るという機能を求めているのでなく、自然と体を庇う態勢になることで安眠できるかもしれない」という視点は不便を感じない地上の生活では得られない不便ゆえの気づきでしょう。このように不便益の考え方に沿って情報を整理すると、宇宙空間の不便が分かれば、地上の生活に役立てられる気づきが得られると言えます。
—不便益はどのようなフレームワークで考えると良いのでしょうか?
不便益を考える際に有効なのが、不便益構造図です。例を交えながらの説明の方がわかりやすいので、今回は生活用品を商材として不便益構造図を書いてみましょう。
不便益構造図を利用して情報を整理することで、不便益施策の構造が明確になります。
この図の記載方法は以下の通りです。
まず、対象とする商品・サービスについて右側の青い枠の上の欄に記入します。今回の例では、生活用品となります。
この際、商品・サービスそのものが顧客に不便益を与える場合があります。この時には、青い枠内の黄色いスロットに「不便」、緑のスロットに「益」を記入します。今回の例では該当しないので、空欄のままとしています。
続いて、施策が顧客に与える不便益を中央のオレンジの枠内に記述します。黄色いスロットに「不便」、緑のスロットに「益」を記入します。企業施策では、不便と益の組み合わせが不便益のタイプ―これを「型」と呼んでいますが—のいずれかに分類できます。ここでは詳細は説明しませんが、この場合は「立会い実感」型として分類できます。
最後に、影響要因(図中の左側の紫の枠)を記載します。これにも「不便」と「益」が存在する場合があります。今回の例では、無重力という影響(環境)要因の「不便」と、施策で述べている「益」(中央下の緑のスロット)の間に関係があります。影響要因の黄色のスロットから施策の緑のスロットに向けて矢印(Trigger)で結びます。この場合の不便は、別の枠内の益を生む「弾きがね」の役割を果たしているので、この純正と違う不便と益の関係をTriggerと呼んでいます。不便益のカテゴライズとしては、不便は「劣化させよ」に、益は「自己を肯定できる」となります。
以上が、この場合の不便益の構造です。
※詳細は「企業施策における「不便益」構造の分析 : 「不便益」発想法の企業施策立案へ活用における一考察(2) 」にて紹介されています。詳しく知りたい方はこちらの論文をご覧ください。
また、企業施策における「不便」を実際にしてもらうための方策として「Nudge」という考え方があります。
「Nudge(ナッジ)」とは、「そっと背中を押す」という意味です。選択肢を制限することで、特別な報奨を用意することもなしに、行動(の修正)を促す手法で、一般に行動経済学の分野で近年は知られていますが、もともとはデザイン学の分野における秘訣やコツのひとつとして知られていました。
そのデザインの法則として、次の5原則があります。
1 好都合なデフォルト(初期設定値)
最初の設定では、当たり障りのない選択肢を選ぶのではなく、できるだけ都合の良い、もっとも望ましい選択肢を選ぶ
2 明確なフィードバック
各種の行動に対して、可視化され明確なフィードバックを即座に提供する
3 目標に直結する報酬(人の性)
報酬は望ましい行動に直結させ、両者が矛盾する状況を作らない
4 選択肢の構造化
複雑な問題をすっきりと整理し単純化できる手段を提供して、意思決定を促進する
5 ゴールの可視化
行動の成果を簡単に測定できる仕組みを作り、一目でわかるよう表示すると、目標に対する自身の達成度をすぐに評価できる
すなわち、これらを条件として満たすことでNudgeを創ることができます。図の左下の緑の枠に記入していきます。
Nudgeは、不便益においては、「不便」なことをさせて、そこから「益」につながるように顧客を促すドライバーとして機能します。
特に必須となるのは、3つ目の条件である「人の性」です。ここでは「未知のものへの好奇心・冒険心」としました。
ここでのNudgeの対象は、主として不便益を体験する宇宙飛行士になりますが、未知の場所を探検したい気持ちへの訴求が背中を押しています。そして、宇宙旅行に限らず、宇宙飛行士の体験をシェアするときに、この不便益の恩恵が活用できるのではないかという観点です。
—宇宙空間での不便を研究することで地上にいる私たちの生活にさらなる恩恵を与える可能性を秘めているとも言えますね。
そうですね、地上での生活に慣れた私たちにとっては、環境が劣化する無重力、行動できる空間が制限される無酸素、限られた人たち以外との非接触、といった「不便」で溢れる宇宙での滞在は、環境問題の深刻化、超高齢化、コロナ禍を経験したことによる日常の変化といった、一般のニューノーマルな生活やその様式に大きな示唆や気づきを与えてくれるでしょう。
例えば、起きたときに浴びる日光の価値や、閉鎖空間での有効な体の使い方など、我々のこれからの生活に大きな学びが得られ、求められるサービスが商品として具現化されることもあるでしょう。
広告を扱う博報堂にとっても、 宇宙空間という場所を単なる物珍しい広告を出せる場所ではなく、生活者の生活に対してのアイデアを得られる生活装置として宇宙空間を捉え、協賛企業とコミュニケーションを取ることで、ライフスタイルの変革といった新たな可能性を開拓できるのではないかと考えています。
■不便益を基にした衛星データ利用アイデアの紹介
—衛星データの利活用について、不便益の考え方を取り入れるといかがでしょうか
人工衛星のデータ利用が進む中で、よく上がるのは、1.空間分解能、2.時間分解能、の課題でしょうか。ただし、1.世界中を観測している、2.定期的にデータを取得できる、3.面としての相対的な変化を捉えられる、という大きな利点もあります。この利点を基に、不便益の考え方を取り入れると良いでしょう。
例として、衛星データを用いることで、自分の身の回りの変化を検出し、変化がありそうな場所をお知らせしてくれるサービスを考えてみました。
ここではナッジとして、「人の性」を考えてみました。それは、季節変化を感じたいという欲求で、ついつい見逃しがちな道端のちょっとした変化も、気がつくことができると、とても豊かな気持ちになって日常にワクワク感を与えてくれると考えています。
散歩をする前にわざわざアプリを立ち上げて行き先を探すのは手間が増えるので面倒ですが、身の回りで何か変化がありそうな場所を教えてもらえるとしたらどうでしょうか?
その場所に行ってみたいと思いませんか?
新型コロナウイルスの影響で出かける機会も減り、街の変化や季節の移ろいを肌で感じることが少なくなり、変わらない毎日を過ごしていると感じている人も多いのではないでしょうか。
「ほらご覧」と身の回りの変化を教えてくれるアプリによって、今まで気がつくことができなかった変化を感じさせることで、心理的な充足感を与えることができるのではないかと思います。これは、毎日の変化は見つけられなかったとしても、センサをわざわざ設置せずとも面としての相対的な変化を捉えることができる衛星データの特徴を活かしたサービス例になるのではないかと思います。
また、すでにある、データを用いた不便益の設計がうまい事例として実際に存在するものをひとつ紹介します。ある自動車メーカーの施策で雲海をナビするというのがあり、実際の映像以外の情報は事細かに提供してくれます。そそられるけれども見たければ行くしかないというナッジが巧みに設計されているといえます。
宙畑でも衛星データを利用して「雲海予測」をされていましたよね?
この事例もまさに衛星データの活躍する余地が大きいのではないでしょうか?
衛星データの強みは、全体が分かっていること、そのため個々のユニークネスが測定できること。そのため、大局的に自分が良しとするかしないかの判断ができ、データだけの世界で、好奇心をもたせることができるのです。
こうした施策が活性化すると、衛星データの活用も進むのではないでしょうか?
—不便益の考え方、宇宙ビジネス以外にも様々な観点で活用ができそうですね。
今回紹介した「不便益」という考え方は、もともとは専らシステムデザインの領域で語られていたといわれていますが、プロダクトデザインやサービスデザインでも有用な概念です。
「不便益」の考え方を活用することで、宇宙ビジネスがさらに活気あるものになっていくなら、とても嬉しいですね。