宙畑 Sorabatake

宇宙ビジネス

政権に揺れるアメリカの深宇宙探査。レガシースペースの役割は?【国際政治の視点からみたアルテミス計画 前編】

宇宙政策の第一人者である東京大学の鈴木教授に、国際政治学の視点からみたアルテミス計画を語っていただきました。前編となる本記事では、アメリカの動向を中心にお聞きします。

シリーズ「アルテミス計画を読み解く」は、有人月面着陸、そして火星着陸までの道のりを様々な視点から探る連載企画です。

第3回目となる今回のテーマは、国際政治学。前後編にわたり、東京大学公共政策大学院の鈴木一人教授に、アルテミス計画に参画する各国の思惑を聞きました。

お話を聞いた人 鈴木一人教授 
東京大学公共政策大学院教授。英国サセックス大学ヨーロッパ研究所博士課程修了。筑波大学大学院人文社会科学研究科准教授、北海道大学公共政策大学院教授、国連安保理イラン制裁専門家パネル委員などを経て現職。専門は、科学技術政策、宇宙政策、国際政治経済学、欧州統合、輸出管理、 グローバリゼーション等。著書に『宇宙開発と国際政治』等。

有人月面着陸の達成で大逆転した宇宙開発競争

鈴木一人教授。インタビューはオンラインで実施しました

─人類初の有人月面着陸を果たしたアポロ計画は、国際政治学的にはどういう意義があったのでしょうか。

宇宙開発史の大家で、私が多くを学んだ友人でもある、ジョージワシントン大学名誉教授のジョン・ログスドン氏は著書で「アポロ計画とは、ソ連に勝つことだ」と説明しています。

アポロ計画の始まりは、ソ連が衛星の打ち上げを成功させて、世界に衝撃を与えたスプートニクショックでした。

スプートニクの模型。モスクワ・宇宙飛行士記念博物館にて撮影 Credit : 撮影 井上榛香

その後も、ソ連は1957年にライカ犬を宇宙へ送り込み、1962年に有人宇宙飛行、1963年に女性初の宇宙飛行、1965年に宇宙遊泳を成功させました。ここまで、アメリカは全戦全敗。ゲームのルールは、ソ連が決め続けているような状況でした。

ソ連がまだ成し遂げていないこと……達成に時間がかかりそうだけれども、アメリカが勝てる可能性があることとして挙がったのが有人月面着陸でした。月面は着陸も帰還も難しく、当然ハードルは高くなりますが、成功すれば今までの負けが全て「チャラになる」とアメリカは考えたわけです。

─チャレンジングな目標だった有人月面着陸を現実的なものにしたのは何だったのでしょうか。

「これが国家事業だ」と一度決めると、とことんリソースを注ぎ込むのがアメリカの特徴です。当時の国家予算の4%にあたる額をアポロ計画に一気に注ぎ込みました。

宙畑メモ
アメリカがアポロ計画にかけた予算の総額は、現在の価値で約13兆3000万円だと言われています。

船外活動中のアポロ11号の宇宙飛行士たち

これは衝撃的なことです。日本の国家予算で4%というと、科学技術振興費よりも多く、防衛費の割合よりも少し少ないくらいの規模に当たります。

公共政策としての宇宙開発

─アポロ計画から50年が経ち、再び月面着陸を目指すアルテミス計画が発足した背景には何がありましたか。

トランプ政権がアルテミス計画を発足させた理由は、中国の存在です。中国は独自の宇宙ステーションを建設し始め、有人月面着陸も計画しています。

アメリカからすれば、月面は自国の旗が立っているところ。もちろん領有はできませんが、気分は自分たちのものです。そこに中国がズカズカとやって来るのは、良い気分ではないでしょう。しかしながら、中国が月に行くのは止められません。

そこで、アメリカは、中国が来る前に月面に戻り、中国を出迎えることで、世界に対して月はアメリカのものだとアピールしようとしているわけです。

アルテミス計画について説明する、ジム・ブライデンスタイン前長官 Credit : NASA/Bill Ingalls

─もしも、中国以外の国が月面を目指していても、アルテミス計画は誕生していた可能性はありますか。

中国のほかに、月面を目指せる能力がある国はないでしょう。仮にロシアが月面を目指しても、アメリカは一度勝っているので、負け犬の遠吠えのように思います。ところが、中国は、全く違う存在です。米ソの宇宙開発競争にも参加していませんでしたし、まさに若手の台頭ですね。

─そこまでアメリカが宇宙開発にこだわるのはどうしてなのでしょうか。

アポロ時代に全身全霊をかけて宇宙開発に取り組んだ結果、NASAという世界中の天才たちを抱える巨大な組織が生まれました。

ケネディ宇宙センター Credit : NASA/Kim Shiflett

ここまで来ると、NASAを潰すようなことはできませんよね。職員に「明日からUber Eatsの配達員をやってください」なんて言えませんし、とにかく組織を守らないといけない。宇宙開発は公共事業になっています。

NASAは存続のために、自らスペースシャトルの開発や国際宇宙ステーションの構築・運用を始めとする目標を設定するようになりました。その目標を正当化するのが「宇宙開発において、アメリカが世界一であること」です。

スプートニクショックを経験した政治家が残っているので、「ロシアや中国に負けてもいいんですか」「また、あの悔しい思いをするつもりですか」と訴えると、十分に響きますし、予算が確保できます。民主主義にはそういう側面もありますよ(笑)。

─とはいえ、アメリカの月や火星関連の大型プロジェクトの継続は、政権によって左右される印象があります。

アメリカでは政権ごとに、目指す先が月と火星とで、入れ替わります。順に、親ブッシュ政権は火星、クリントン政権は月、オバマ政権では小惑星が取り組むプロジェクトとして上がりました。

でも、最終的な目的地は火星、月は通過点であることは変わりません。なぜ火星なのかと理屈を求められると難しいですが……。火星は科学的に見ても面白いですし、人間が定住できる可能性もある“憧れの地”なのです。

─アポロ計画以来、月以遠の有人探査プロジェクトが実現したケースはありませんでした。トランプ政権でアルテミス計画が現実的なものとなったのはなぜですか。

正直なところ、トランプ前大統領がアルテミス計画を発足させた当初は「まあ、無理でしょう」という雰囲気がありました。半信半疑で取り組んでいた人もいるのではないかと思います。ところが今は、もう逃げられないところまで計画が進み、リアリティが出てきています。

アルテミス計画を前進させた大きな要因は、国際宇宙ステーションの運用が終了すること、また、民間企業の存在です。

国際宇宙ステーションの運用が終了する、または民間に譲渡すると、NASAの事業が一つなくなってしまいます。加えて、国際宇宙ステーションへの物資と宇宙飛行士の輸送をこなせるほどにSpaceXが育っていて、地球低軌道は民間企業の取り組みで十分です。

星出宇宙飛行士らが搭乗した、 SpaceXのクルードラゴン宇宙船 Credit : SpaceX

それでNASAは、地球周回軌道の先……月や火星をターゲットとした次のプロジェクトを必死になって探しているタイミングでした。

─アルテミス計画が動き始めたのは、中国の宇宙開発やNASA、民間企業の状況など、複数の要因が組み合わさった結果だということですね。

政権移行に揺れるアルテミス計画

─トランプ政権が敗れ、アメリカはバイデン政権に移行しました。2024年に予定されていた月面有人着陸は後ろ倒しになるのではないかとも報道されています。

当初、有人月面着陸は2028年に予定されていました。それをトランプ前大統領が再選した場合に、自身の任期中に実現しようという意図があって、2024年になったと見られています。中国は、有人月面着陸は2030年を目指しています。アメリカの有人月面着陸は2028年になったとしても、中国よりも先に月面に到達できるわけです。

また、バイデン政権の予算の組み方は、非常に特殊です。発表されているものだけでも、経済救済対策に190兆円、インフラ政策に220兆円、学校や家庭の支援に200兆円のパッケージを打ち出しています。合計600兆円を超える予算を1年で組むなんて、普通は考えられません。こうした予算規模と比較すると、アルテミス計画には350億円くらいの予算増を要求していますが、果たしてこれで十分なのか疑問は残ります(予算は議会が決めるので要求額から削られる可能性もあるし、増える可能性もある)。

─バイデン政権の宇宙開発への関心度はどのくらいですか。

低くはないですが、高くもないといったところでしょうか。トランプ政権時代に創設した、国家宇宙評議会の議長にカラマ・ハリス副大統領が就任しているので、無関心というわけではないようです。しかしながら、ハリス副大統領の考えは、表に出てきておらず、政策決定に大きな役割を果たす事務局長も決まっていないので、方向性は不透明なままです。

─政権交代に伴い、NASAの長官として民間企業の活用を推進してきたジム・ブライデンスタイン氏が辞任し、新たにビル・ネルソン氏が任命されました。NASAの方針に変化あるのでしょうか。

元宇宙飛行士であり、上院の科学技術委員会のメンバーでもあったので、議会の中では最も宇宙開発に関心を寄せている人物です。一方で、ネルソン長官の思想はアポロ時代……古き良き時代のNASAの人という印象です。

NASA長官に任命されたビル・ネルソン氏 Credit : NASA/Bill Ingalls Source : https://www.flickr.com/photos/nasahqphoto/51221294498/

そのため、宇宙飛行士を月へ輸送するのにも、SpaceXのファルコンヘビーではなく、NASAのSLSロケットを使うことを優先する可能性があります。その場合、有人月面着陸はさらに遅れる可能性がありますね。

順調に動き出そうとしていたアルテミス計画でしたが、政権移行によりスケジュール通りに実現する見込みは薄くなりつつあります。後編では、アルテミス計画に参加する各国の意図、そして日本はアルテミス計画にどのように取り組んでいくべきか、鈴木一人教授の考えを伺います。

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