火星衛星探査MMXに期待される、日本の深宇宙探査の新章~火星の衛星フォボスのサンプルリターンがもたらすもの~
火星の衛星フォボスへの着陸といった野心的なミッションを持つMMXの打上げが控えるなか、JAXAの3名の研究者に日本の宇宙探査が長年培ってきた技術的強み、火星衛星探査がもたらす科学的意義など、たっぷりとお話を伺いました。
2026年の打ち上げが予定されている、JAXA 宇宙科学研究所(以下、宇宙研)が進める「火星衛星探査計画(以下、MMX)」は、火星の2つの衛星「フォボス」と「ダイモス」を周回・探査し、さらにフォボス表面の試料を地球へ持ち帰るという挑戦的なミッションです。火星の2つの衛星「フォボス」と「ダイモス」は、太陽系の中でも特に謎が多い天体で、解明されれば太陽系の形成過程や生命の起源に迫ることができると期待されています。
今回は、3名の研究者にMMXを軸に日本の宇宙探査が長年培ってきた技術的強みは何か、火星衛星探査がもたらす科学的意義や、将来の火星探査・人類の宇宙進出に繋がる可能性、そして国際協力の中で日本がどのような役割を担っているのかについて話を伺いました。
今回お話を伺ったのは、以下の3名です。
・臼井 寛裕(宇宙科学研究所太陽系科学研究系 教授)
・今田 高峰(宇宙科学研究所火星衛星探査機プロジェクトチーム)
・山田 和彦(宇宙科学研究所宇宙飛翔工学研究系 准教授)
「はやぶさ2」の知見を火星圏探査へ。着陸対象のフォボスの重力は1000分の1
宙畑:まずは、ご専門領域や取り組みについて、自己紹介をお願いします。
臼井さん:岡山大学で博士号を取得後、同大学の地球物質科学研究センターCOE研究員として惑星探査科学を研究していました。
その後、アメリカのテネシー州立大学やNASAジョンソン宇宙センターなど海外で研究経験を積みました。2018年には宇宙研の教授に就任。地球外物質研究グループ(ASRG)責任者として「はやぶさ」「はやぶさ2」などのサンプルリターンミッションで得られた試料の受入やキュレーションと分析・保存・解析・管理を統括しています。MMXのプロジェクトではサイエンスチームの体制の構築と科学的計画の推進を行っています。
今田さん:大学ではロケットエンジンやジェットエンジンを研究し、三菱重工に入社してからは名古屋でH-IIロケットの2段推進系システムの開発に携わりました。並行して、宇宙往還機(HOPE)の基本設計とシステムマネジメントを担当。1997年に国際宇宙ステーション補給機(HTV)が立ち上がったタイミングで、三菱重工から宇宙研に出向し、その後、正式加入しました。HTVと並行してHTV搭載の小型回収カプセル(HSRC)の設計にも携わっていました。MMXには概念検討が始まったころから参画しています。
山田さん:大気圏突入システムや高速流体力学、高温気体力学が専門です。2004年に宇宙研へ着任しました。最初に宇宙研で関わったプロジェクトは、オーストラリア南部のウーメラ砂漠での「はやぶさ」カプセル回収です。具体的には、空気力学や大気圏突入技術の知識を用いて、カプセルが落下する着地点の解析をし、現場に赴いて回収するというミッションでした。その後は、展開型柔軟エアロシェルの実現に向けて、研究開発を行っていました。展開型柔軟エアロシェルは、特に大気が薄い火星でその特徴が活かされる新技術で、今検討チームのリーダーを務めています。また、そのほかにMMXのサンプルリターンカプセル設計・開発も行っています。
宙畑:今回のMMXミッションの主なターゲットである「フォボス」の特性について教えてください。
臼井さん:まず、特性として挙げられるのが重力です。フォボスは重力が地球の約1000分の1以下です。重力が小さいと、衝突エネルギーを完全に吸収できずに挙動が不安定になってしまい、着陸が困難となります。
また、表面が微細な砂や岩塊で覆われている点も厄介です。探査機やローバーにとっては20センチ程度の岩塊でも走行上の障害物になり得ます。
山田さん:月であれば、重力は地球の6分の1で、着陸時に姿勢を制御しながら接地する軟着陸技術が立証されています。しかし、フォボスへの着陸はリバウンドしやすく、“中途半端な重力”があるという状況が難しいんです。
今田さん:お二人のお話と重複しますが、フォボスは極めて重力が弱いうえに、表面状態は安定性に乏しく未知数です。重力が小さいということは、重力で地面に押さえつける力が小さいということ。つまり、バウンドしてしまうのです。どのような脚なら降り立つことができるのかを推測しながら設計しなくてはいけませんでした。現状としては、4本の頑丈な着陸脚でしっかりと支える構造にしました。
宙畑:リモートセンシング技術では、具体的にどんなことが分かるのでしょうか?
臼井さん:中性子分光計とガンマ線分光計を組み合わせることで、フォボスに含まれる物質の元素組成や起源を知ることができます。
フォボスの起源説は2つあります。ひとつが太陽系外縁部に存在していた小惑星が火星の重力によって捉えられ、衛星になったという説です。もし、ひとつ目の説が立証されるとなると、含水鉱物や有機物を含んでいることが推測されます。
もうひとつが、火星に天体が衝突し、その破片が集積してフォボスになった説です。月よりも小さなサイズの衛星が、どのようなプロセスを経て形成されたのかを知ることで、ある程度の確率分布をもって、月の進化を統計的に理解できると思っています。
今回のリモートセンシングで初めて化学組成が分かるので、サンプルを持って帰ってくる前にも、ある程度決着を付けられたらよいなと思っています。
日本の技術力が試される3年間。MMXミッションがもたらす意義とは
宙畑:MMXでは2種類のサンプル採取方式を採用しています。それぞれの違いと2つの採取方式を採用した理由を教えてください。
今田さん:サンプルリターンの成功率向上と科学的成果を最大化するためです。着陸後にマニピュレーターを伸ばし、スコップのような装置を土壌に突き立ててサンプルを採取する方法では、表層の少し深い位置の土壌も採取可能です。また、着陸後にカメラで周囲の地形や岩石を詳細に観察し、有機物や水が含まれていそうな場所を特定してから、掘削することが可能です。ただ、非常に複雑なシステム構成となっており、故障や動作不全を引き起こすリスクがあります。
バックアップとして、接地時に砂などの細かい表層物質を窒素ガスで吹き飛ばして採取するニューマチックサンプラーも採用しました。この装置は、着陸してすぐに退避が必要な際も確実にサンプルを採取できます。
宙畑:採取したサンプルはSRC(Sample Return Capsule)に保管されて地球に帰還することとなっています。それぞれのサンプリング装置で採取したものは分けて保管できるようになっているのでしょうか?
臼井さん:4つのシリンダーに区別して入れられるようになっています。
宙畑:もっと区別して欲しいという希望はあるのでしょうか。
臼井さん:そういう言い方をすると、いくらでも欲しいのですが(笑)、理学観測的には、地質学的にはあまり表面が違わないものの、分光学的には違うことはわかっているので、2つ以上は欲しいと思っていました。
ただ、フォボスに着陸して滞在できる時間が短いことは非常にチャレンジングです。フォボスは1日が7時間ほどで、そのうち昼間は約3時間半、さらに通信は片道で約20分の遅延が発生します。この極限環境において、タスクを完了させなければならないのです。
宙畑:サンプルリターンで、どのような結果を期待していますか?
臼井さん:火星の表層物質の解明が進むことを期待しています。これは、フォボスを選んだ理由にも関連しますが、フォボスには宇宙空間に飛散した火星表面の土壌や岩石の破片の一部が降り積もっていると予想されています。サンプルを分析することで、フォボスの起源解明だけでなく、火星や太陽系形成の謎を解くヒントを得られる可能性が高いのです。
つまり、フォボスのサンプルリターンではなく、火星のサンプルリターンとも言えるような成果につながるかもしれないのです。火星サンプルリターンはまだ人類は成功していません。私たちが初めて火星のサンプルを持って帰ってきて、生き物につながるような有機物の痕跡や、あるいは、火星の湖の底の泥などが混ざっていると考えています。
私たちは生命というと、地球にいる生き物しか知らず、太陽からのエネルギーだったり、地球にあるエネルギーを使って生きているひとつのシステムしか知りません。火星は人類が知る2つ目の生命を見つけに行こうという重要な研究対象なのです。
宙畑:続いて、日本が火星探査を行う意義や重要性について教えてください。
臼井さん:宇宙開発は未知の場所を知る科学探査のフェーズから、月面資源利用や宇宙旅行、地球観測データの事業化など探査・利用のフェーズへ移行しました。また、国際的には月から火星、さらにその先へと活動圏を拡大する動きがあります。
そのような中で、日本がイニシアチブを取るためには、まず火星表面への着陸・探査が不可欠です。宇宙開発は規模も大きく、アラブ首長国連邦(UAE)が主導し、米国コロラド大学などの研究機関との協働により実施され、日本のH-IIAロケットにより打ち上げられた火星探査ミッション「HOPE」が示すように、火星探査においては、国際連携が極めて重要です。
ただ、火星探査は国際情勢や政治的要因に大きく影響を受ける分野です。可能な限り、サプライチェーンの国内回帰と宇宙開発を含む技術的自律性を確保することで、国際的な影響を最小限にとどめることができます。
今田さん:火星のインフラ化を見据えた際には、技術的なパスファインダーが必要です。日本独自の技術力を発揮するには、現段階から火星圏に行って帰ってくるルートを構築しておかないといけません。何もしないままだと、日本は技術や資源を享受するだけの参加国というポジションになってしまうでしょう。
そのため、MMXが火星圏に滞在して活動する3年間は、日本の宇宙探査において非常に重要な転換点となります。将来的に、フォボスは火星表面へのアクセスや科学調査において重要な拠点になるといわれています。地球から1度のロケットで火星の地表に着陸するよりも、火星の周回軌道まで到達し、そこで火星専用のランダーに乗り換える方が効率的だからです。
山田さん:やはり大切なのは、MMXミッションを通じて多くの人をワクワクさせることだと思います。私自身も、自分の技術で世界を動かしたいという思いがあります。NASAのような大型探査機・高予算ミッションと真正面から競争するのではなく、日本の強みを活かす形で成果を示すことが重要だと思います。
理学と工学が同じ屋根の下で切磋琢磨するJAXA宇宙科学研究所。過去に類を見ない大きなMMXプロジェクトの組織体系
宙畑:MMXミッション、非常に野心的で面白い成果がどんどんと出てくるような期待が膨らみました。そんなMMXミッションを進める宇宙研が、他国と比較した際に強みだと考える特徴を教えてください。
臼井さん:宇宙研の特徴としては、工学的なドライブが強いことが挙げられます。NASAでは、理学分野のトップ研究者がミッション全体のリーダーを務めるケースがほとんどです。 また、ミッションの核となる機器や装置は、ヘリテージ機器(実績があるもの)を基に設計・開発されることが多いです。一方の宇宙研は、私がサイエンティストとして無茶を言っても、そこまで嫌な顔をせずにやってくださったり、逆に「もっとここぐらいまでいけるんじゃないか」とチャレンジみたいなことを向こう側からドライブをしていただくこともあります。私自身もそれに応えなければという思いでいっぱいです。
宙畑:山田さんも「宇宙科学の『技術』のフロントローディングという試み」で「宇宙科学研究所は、古くから理工一体を体現し、理学・工学が一体となって、先進的で魅力的な宇宙科学ミッションを創出し、実現してきた」と書かれていましたね。
山田さん:宇宙科学研究所なので、本来なら理学のことをやればいい研究所のはずなのですが、昔からロケットなり衛星なり作ってきて今があります。
臼井さんが話されたように、理学と工学が緊密に連携し、同じ建屋で切磋琢磨している組織体系は、世界的にみてもユニークだと思います。また、宇宙研には、ひとつのテーマを深く掘り下げられる専門性の高い人材が集まっています。同時に、そうしたアイデアを受け止め、時間をかけて技術として育てていける人の存在もまた重要です。異なる強みを持つ人たちが連携することで、初期段階のアイデアをスピーディーにミッションへとつなげられる点が、宇宙研の大きな特色だと思います。そのような土壌からMMXというチャレンジングなミッションが生まれてきたのだと思います。
宙畑:MMXミッションならではの特徴はありますか?
臼井さん:MMXの特徴は、国際性に富んだチームであることです。科学分野だけをみても、メンバーの3分の2以上が海外の研究者で構成されています。多様な背景を持ちながらも、議論や意思決定は非常に成熟しており、豊かな経験を積んだ著名なシニア研究者が数多く参加しています。
彼らは常に「MMXのために何ができるか」「MMXを通じてJAXAをどう発展させられるか」という視点で考え、チームを第一に行動しています。国際的な協力体制というと調整の難しさを想像しがちですが、実際には、誰もがプロジェクトに貢献しようと前向きに関わっています。その一体感こそが、MMXの大きな特色だと感じています。
宙畑:MMXのシステム全体を見られている今田さんの観点からはいかがですか?
今田さん:システムの観点からいうと、参加しているメンバーが多く、全体を統括するのは簡単ではないのが率直なところです。ヨーロッパやアメリカをはじめ、世界中から人が集まっていますし、関わっているエージェンシーも複数あります。ただ、皆さんがMMXをよりいいミッションにしたいという共通の思いをもって意見を交わしているので、その点は非常にありがたいと感じています。
今田さん:また、MMXミッションに限らず、宇宙研のプロジェクトリーダーの方々は個性的で、迷わず信じた道を突き進む力を持っています。「はやぶさ」のサンプルリターンも、当初は世界中から注目されていたプロジェクトではありませんでした。小惑星「イトカワ」からサンプルを持ち帰るという快挙を成し遂げて、プロジェクトの規模と意義が拡大していきました。 私としては、そういった方々の夢や野望の実現を支えたいです。
宙畑:最後に、今後の展望について教えてください。
今田さん:民間企業との共同開発や、民間主導の宇宙ビジネスの創出などのプロジェクトに注力したいです。
山田さん:今後5年から10年の目標は火星に行ける機会を作ることですね。また、それとは別に、私は輸送分野を専門としているので、たとえ、小型でも自分の手がけた機体が打上げられて、過酷な宇宙空間を飛行し、帰還するのを見届けられるのは非常にワクワクします。
臼井さん:まだ誰も行ったことのない、あるいはこれまで行けなかった場所へ挑戦することです。地質学的に興味深い場所ほど、調査や接近が難しいケースが多くあります。これまでの火星探査では、技術的な制約から安全に着陸できる地点が優先されてきましたが、今後は難易度が高くても、科学的に重要な場所に降りることが可能になっていくでしょう。
私個人としては、マリネリス峡谷を直接見てみたいですね。
臼井さん:また、もう少し先を見据えると、宇宙に関心をもつ人をどう増やしていくかが大きなテーマだと考えています。MMXプロジェクトをさらに発展させるためには、宇宙好きな方々に向けた発信だけでは十分ではありません。より多くの一般の方に興味を持ってもらえるよう、伝え方や届け方を工夫していきたいと思っています。
■MMXミッションに関するプラネタリウムのお知らせ
現在、今回お話を伺ったMMXのミッション紹介や、サンプルリターンの意義、宇宙探査の意義についてまとめられたプラネタリウムが複数の場所で上映されています。興味を持たれた方はぜひお近くの上映館まで足を運んでみてください。

