「これ当たるんよ」「次はいつ?」山口県のキーマンに訊く、衛星データで品質向上を実現した小麦農家の生の声と展望
2年前に宙畑が取材をした山口県の小麦の生育に衛星データを利用するという事例は今どこまで進んでいるのか。その後と農家さんのリアルな声を知ることができました。
日本の農業従事者のうち65歳以上は全体の70%を占めており、高齢化に伴う引退により農業従事者が減少しています。そのため、少ない農業従事者で多くの農地を管理するために、技術を活用して省人化を進める必要があります。
そのようななかで、山口県は農業における省力化の取り組みとして衛星データの活用が積極的に推進されており、様々な先進事例があります。そのひとつが、本記事のテーマ「小麦の品質向上」です。
この実証では、基準値を超える小麦の割合が令和4年産では25%だったところ、実証後の令和5年産では56%に倍増。その結果、農家の方からは「当たる!」「次はいつ?」という声が寄せられるようになったそう。
今回、お話をうかがったのは、アグリライト研究所の岩谷取締役、JA山口県、山口県の担当者の方々です。実証の結果とともに、アグリライト研究所とJA山口県の取り組みや衛星データ利用の課題と展望についてもお伝えします。なお、今回のインタビューは2年前に宙畑が実施したインタビューの続きとなっておりますので、まだご覧になっていない方はこちらもぜひご覧ください。
高齢化率第3位の山口県で見えた「限られた人数で農業生産ができる仕組み」の兆し
【お話を伺った方々】
・岩谷 潔様
株式会社アグリライト研究所 取締役 技術・研究担当
・水津 祐一様
山口県農林水産部 農業振興課 農産班 主任
・原田 夏子様
山口県美祢農林水産事務所 農業部 担い手支援課 主査
・藤井 卓也様
山口県農業協同組合 本所 販売部 米穀課 課長
・江本 浩之様
山口県農業協同組合 本所 営農指導部営農技術課(宇部統括本部指導販売課 常駐) 係長(専門営農指導員)
・笠井 正枝様
山口県農業協同組合 担い手総合対策室 担い手支援対策部 担い手支援課 係長 TAC (担い手専任担当)
(1)衛星データを利用する前の課題と利用に至った経緯
宙畑:まずは、衛星データを利用する前の小麦生産における課題から教えてください。
山口県(水津):山口県ではパン用小麦の生産が主要産業のひとつで、小麦を買い取る製粉会社から「(品質を左右する)タンパク質含有量が一定のものを出してください」という要望をいただいています。ただ、品種が変わったり耕作面積が増えたりすると、一定以上の品質を保つことが難しいという課題がありました。
小麦は播種前に製粉会社と契約して作付け量が決まるため、品質を保てないと作付け拡大も難しくなり、大きな課題となっていたのです。
宙畑:衛星データを活用する以前はその課題に対してどのような解決策があったのでしょうか?
山口県(水津):県の試験場の研究から、「この時期にこれくらいの肥料をやると良い」という指針を出したり、1農家の方ごとに1圃場を巡回して「これぐらい肥料をあげてください」と呼びかけをしていました。追肥のベストシーズンは10日ほどの短い期間に限られるため、事前に農家の方や一緒に回る担当者と日時を調整して巡回する必要があったんです。
一人ひとりにその圃場ごとのデータを提示して個別に呼びかけることはできていませんでしたね。
JA山口県(笠井):開花期追肥はタンパク質の向上に一番重要な所です。私がいた営農センターでは何月何日の何時にここの圃場に行きます、というのを農家さんや一緒に回る担当者と調整して巡回していました。作付け日はあまり変わらないので、開花期追肥の巡回も天候によらず大体同じ時期(3月20日〜30日頃)に行っていました。
宙畑:追肥のベストシーズンが10日というのはとても短いですね。すべての圃場を見て回るだけでも大変だと思います。そのようななかで、衛星データの利用を検討し始めた経緯についても教えてください。
JA山口県(江本):当時、衛星データというものは知らなかったのですが、水津さんからお話をいただき、質の向上に役立つかもしれないということで実証を始めました。今は実証の4年目で、最初の3年間は県の補助金を使って行っています。
最初は現場の感覚と衛星データが一致するのか不安がありましたが、実際にやってみるとそこまで差がなく、衛星データは信頼できるデータであると感じました。
JA山口県(江本):農家の方にデータを渡すと、栽培状況と一致しているという声もあり、今年に入ってからは「衛星データはまだ出ないのか」という声も上がっています。
宙畑:そのような声が農家さんからあがっているというのは宙畑としてとても嬉しいです!
岩谷:農家の方やJAの皆さんは結果が良ければ認めてくださるフラットな判断基準を持たれていました。現場の方の肌感覚と合っているようで、あとは現場の方に伝わるような表現について助言をいただきながら、良い感触を持っていただいたのが今の成果につながっていると思います。
(2)4年間の成果、誰よりも説得力のある農家の声
宙畑:導入後の実績について、率直な感想をいただけますでしょうか。
山口県(水津):年を重ねるごとにタンパク質の含有量が上がってきています。特に令和5年産では、県域全体で製粉会社から求められる基準の12%を超える実績を出すことができました。今までタンパク質が低かった産地がぐっと上がって全体で12%を超えたことは、非常に意味のある結果であり、大きな成果だと思っています。
宙畑:これほどの成果が出たのはどの要因があるのでしょうか?
岩谷:結局は渡したデータをどう活用していただけるかが肝だということをお伝えしたいですね。山口県の方もJAの方も、そして農家の方もどうやってタンパク質を上げるかに貪欲に取り組まれる方が増えています。
今回タンパク質含有量が上がったのは我々のデータがあったからこそということはおこがましくて言えないのですが、そのきっかけになったのであればとても嬉しいです。携わった方々のデータを活用したいという意欲や高い意識に恵まれた現場であると実感しています。
宙畑:農家の方の反応で印象に残っていることはありますか?
岩谷:新しく参加する農家の方への説明会で、内容を説明した後、すでに衛星データを活用している農家の方が「これ当たるんよ」と話されていたのが非常に印象に残っています。こちらのどんな言葉よりもその言葉が一番説得力がありましたね。その言葉が一つの転換点だったなという印象です。
山口県(水津):県内のある地域では、農家の方々に集まっていただく講習会で、それぞれの圃場のデータを印刷してお配りしたことがあると聞きました。すると、お互いに「あなたの結果はいい」と言い合いながら見比べ始めました。圃場のデータは農家さんにとっては個人情報と同じくらい重要なものなので、一人ひとり整理してデータをお渡ししていたものではあるのですが、こうしてお互いの結果を見ながら切磋琢磨するようになったことも効果があったと思います。
岩谷:面白いですね。もともとの趣旨とは違いますが、プラスに働いたのであれば非常にやった甲斐がありますね。
宙畑:衛星データを活用して技術の伝承を行うという事例もありますが、若手の方も衛星データを活用していらっしゃいますか?
山口県(水津):県内の農業法人に農業大学校から若い人が就職するケースが増えています。普段からスマホを使っている世代はこういうツールを見やすいと感じるようで、そういった点でも効果はあると思っています。
JA山口県(江本):JAの中でも営農指導経験が少ない若手が異動で来たときに、衛星データを使ったツールがあれば一目でわかります。指導員にとっても農家の方に話に行きやすかったり、指導員の成長にも役立っていると思います。この事業も農家の方へデータを届けるコストだけを見るのではなく、指導員の成長につながるコストも考慮すると良いと思います。
(3)衛星データ利用にあたっての課題とおさえておきたいポイント
宙畑:この実証の中でも様々な変化や気付きがあったかと推察しますが、気付きとアップデートされた内容を教えていただけますか?
岩谷:任せていただける圃場が増えることで、こちらの手数(工数)と実際に発生するお金の相場が見えてきました。
衛星データは一度に撮影ができるエリアが大きいデータであるということからもたくさんの圃場で割るほうが金額的には安くなり、圃場が1500から2500に増えても手数はそれほど増えません。衛星データはスケールメリットが大きいデータだなとあらためて実感しています。
岩谷:また、アップデートしたいポイントとしては、今後は合成開口レーダー(SAR)についてもコストを考えながら使って圃場を見ていきたいと考えています。
宙畑:圃場が少ないほどコストがかかるというのは、最低購入面積がある衛星データならではの悩みである一方で、利用する圃場が増えるほど解析の手間も含めて費用対効果が良くなるという気付きを得られるまで圃場が増えているというのはとても素晴らしいですね。
必要な衛星データの量についても、今後は高頻度で観測するSAR衛星が今後上がってくると思いますので注目したいですね。
SAR衛星を利用したいということは、雲があるときのデータが使えないため、頻度の観点で課題があるということだと思いますが、具体的にどのような問題が発生しているのでしょうか?
岩谷:データを出せるタイミングが課題だと考えています。今年は3月16日、17日と3月27日の衛星データ以外はほとんど使えなかったです。3月16日でも農家さんにとっては比較的遅いと思われただろうなと思うことと、さらにその後10日間もデータの提供に期間が空いてしまいました。毎日撮影ができるPlanetの衛星でも(晴天率の関係で)この状態なので、そのような頻度のばらつきをどこまで許容できるかは重要だと思います。
宙畑メモ:Planet
200基以上の衛星を軌道上に打ち上げており、3.7m解像度で毎日観測できるコンステレーションを保有する会社。
山口県(原田):巡回の予定は3月20日から30日の間に組んでいるので、その前後くらいにデータが揃っていると嬉しいですね。
こういった資料があると話の切り口にもなりますし、農家の方もそろそろ作業の準備をしなければというモチベーションアップのツールにもなります。
宙畑:あらためて、衛星データを活用される前はどのように農家の方と話をされていたのでしょうか?
JA山口県(藤井):前の年の生育具合の写真などを撮っておいて、今年と比べてどれくらい肥料を撒こうかという話をしていました。ベテラン農家の方によっては、過去のデータの蓄積から「このタイミングだ」と判断する方もいらっしゃいますね。
岩谷:衛星データの解析は、ベテランの方がやってることをコンピュータに置き換えてるっていう作業でもありますね。経験や勘に頼ったっていうのは全く悪いことではなく、とてもプラスなことで、それを経験や勘で終わらせないというのがコンピュータの仕事と思っています。
宙畑:衛星データの解析で予想よりも大変だった点があれば教えてください。
岩谷:実は、衛星データの解析は比較的オーソドックスなやり方で解決できています。
ディープラーニングのような高度なAIを使ったりするのではなく、自分たちの身の丈に合ったことをやって、それが社会的に貢献できる良いバランスになっているなという印象です。
やはり、解析以上に農家の方が施肥を適切に行うための動機付けが難しいという点で、衛星データがその解決の糸口となったのはありがたかったです。
繰り返しになりますが、周囲の農家の方から「当たるんよ」と言われたデータを見て、他の農家さんも気持ちが動くようになってくださった。要は人、農家の方を動かす、動いてもらう。能動的に品質を良いものにするためのアクションに変えていっていただいてるんだなと、その大変な部分に力を貸せているのであればやった甲斐がありますね。
宙畑:「肥料をこれぐらい撒くと良い」と指導をしても、それは「肥料を売りたいからそう言っているんだ」と言われることもあると他の県の事例で聞いたことがあります。そういったネガティブな気持ちを持っている方も他の農家のリアルな声があれば「使ってみようかな」とたしかになりますね。
山口県(水津):農業に従事する人口は減っているので、1人1人が管理する農地が増えています。そうなると圃場を1枚1枚管理するのは大変なので、こういうツールは今後ますます使われていくことになると思っています。
宙畑:実証を始めて次で5年目、衛星データが蓄積されることによる期待感はありますか?
岩谷:平年や去年と比較が出来るようにデータを蓄積しています。また、過去のある年と今年の傾向が似ているパターンがいくつか蓄積されることで、今年の今後の予測を記録として残せるようになると思っています。
あとは収量に関しては過去のデータを捨てていかないとダメになっています。農家の方々が上手くなっているので、同じ気候条件でも2018年や2019年と現在では結果が異なります。そのため、モデルを工夫して更新していく必要があります。
宙畑:素晴らしい結果が生まれているからこその、とても贅沢な悩みですね。
(4)ハードだけでなく、ソフトへの投資が結果を出せる時代
宙畑:衛星データの活用コストについて、タンパク質の含有量が上昇する成果に対して見合ってるかどうかの率直な感想をお願いします。このまま継続して使える!となりますか?
山口県(水津):今までの実証だけでは判断が難しいというのが正直なところです。現在、JA山口県小麦のタンパク質が上昇し、製粉会社の評価が上がりつつある段階です。ここから契約量が増えれば、費用対効果についても判断しやすくなりますが、まだこれからそういった交渉に至る段階です。良い流れとしては、製粉会社の方からの評価も、以前は「頑張ってください」といったものでしたが、最近では「一緒に取り組んでいきましょう」という雰囲気に変わってきました。
また、国の直接支払交付金という収穫量に応じて支払われる交付金のプラスも大きいですね。
宙畑:NASAはPlanetの衛星画像を買い取って学術向けに公開するというプログラムがあります。そのように農林水産省などが衛星画像を買い取って配布するような状態が出来ると解析費用も抑えて運用していけそうですね。
岩谷:そうですね。国や自治体が衛星データを整備して色々な目的のために使えるようにする仕組みはあっていいと思います。そしてその地域の企業やプロジェクトが頑張って自治体の経済へ波及効果を生み出すというモデルですね。
宙畑:他の補助としては農機具などのハードだけではなく、衛星データ活用などのソフトにももっと補助が出るといいですよね。システム利用のランニングコストが農家の方の負担となってしまうので、その補助が手厚くなるとソフト面でのスマート農業も普及が進みそうだと思いました。
まとめ
今回はアグリライト研究所様、JA山口県様、山口県様に、衛星データを活用した小麦の収量予測と追肥判断についてお話を伺いました。課題は現場にあり、現場とともにサービスを開発していることが強く感じられました。難しい解析は行っていないとのことなので、私たちの身近な課題もオーソドックスな解析で解決策が見つかるかもしれません。この記事をきっかけに、衛星データ活用がさらに進むことを期待します。