野口宇宙飛行士がJAXAを退職へ。「民間の世界に出て行って揉まれてみるには良い時期」【宇宙ビジネスニュース】
【2022年5月30日配信】一週間に起きた国内外の宇宙ビジネスニュースを宙畑編集部員がわかりやすく解説します。
宇宙飛行士の野口聡一さんが2022年6月1日付けでJAXAを退職します。
野口さんは1996年にNASDA(現JAXA)の宇宙飛行士候補者に選ばれ、これまでに3回の宇宙飛行、日本人としては星出彰彦さんと並んで最多となる4回の船外活動を経験しました。26年に及ぶ宇宙飛行士人生を通じて、野口さんは何を得たのでしょうか。
コロンビア号への想いと船外活動で見た「研ぎ澄まされた命の最終地点」
5月25日に開催された記者会見の冒頭では、JAXAの佐々木宏理事長が野口さんの功績を振り返り「パイオニアとして挑戦し続けて、JAXAの有人宇宙活動を引率した功労者」と称えました。
野口さんの初回のフライトは、2003年にスペースシャトル「コロンビア号」が大気圏に再突入する際に空中で分解し、7名の宇宙飛行士が亡くなった事故後、最初の打ち上げでした。
2回目のフライトではソユーズ宇宙船の船長補佐を日本人として初めて務め、2020年に打ち上げられた3回目のフライトではSpaceXの「クルードラゴン」の運用初号機に搭乗しました。
そんな野口さんは3回目のミッションを無事に終えた頃から、搭乗の機会を待っている後輩宇宙飛行士に道を譲りたいと考えるようになったといいます。老子の「功遂げ身退くは、天の道なり(現代語訳;りっぱな仕事を成し遂げたら、その地位にとどまらず退くのが、自然の理にかなった身の処し方である)」という言葉を引用して、退職を決断した理由を説明しました。
3回目のミッションの中でも、約6時間半にわたってISSの新型太陽光パネルの取り付け準備に従事した2021年3月の船外活動は、大きな転機になったといいます。野口さんは当時を振り返り、こう語りました。
「研ぎ澄まされた命の最終地点、ここから先は死しかない世界を見ることができたのは大きな収穫かなと思っています」
「宇宙にいると色んな理由で死んでしまう危険がありますが、帰ろうとすると自分たちの宇宙船に全員で乗って帰る、その一つしかありません。”Millions Way to Die,One Way to Survive”の中でよく3回も無事に帰って来れたなと。最後の船外活動では、国際宇宙ステーションの端っこ、『この先、死』というところまで行けたので、そういう場面にはもう行かなくてもいいんじゃないかというのはありますね。燃え尽きたと言えば、そうなのかもしれません」
死と隣り合わせの宇宙に行き、無事に帰還することを何よりも大事にしていた野口さん。記者会見では、コロンビア号の事故で亡くなった仲間への想いも語られました。
「(26年間で)一番辛かったことは何かと聞かれたら、私はコロンビア号の事故だと思っています。同期の仲間7名が亡くなって。それから私の使命は、あの7名の見た景色と伝えたかったことを伝えていくこと。そのためには何が何でも帰還する。(地上に)帰ってくるというのは、私の宇宙飛行士としてのテーゼ(命題)だったのです」
「コロンビア号のことは決して忘れませんが、彼らの意思を継いでいくのは若い人たち……後輩飛行士たちに繋いでもいいのではないかと思いました」
野口宇宙飛行士が考える、次のもう1サイクル
質疑応答では、野口さんの今後のキャリアについての質問が集中しました。野口さんは、1965年生まれの57歳。一般的な定年退職の時期までにはまだ時間的な余裕がある上に、「人生100年時代」という言葉があるように働き方も変化しつつある中で、今後はどのような活動を行うのかに注目が集まっています。
「もう一つ新しい場面を作っていけば、死ぬまでにもう1サイクルを回せるんじゃないかと思います。JAXAとNASAには25年間いたので、宇宙飛行士室が心地良い空間になっていたのは確かですけれども、心地良いまま終わるよりは、厳しい民間の世界に出て行ってもう一度揉まれてみる体験をするには非常に良い時期かなと」
野口さんは2022年1月に東京大学先端科学技術研究センターの特任教授に着任。その際、「宇宙で暮らすことがヒトの内面世界にどのような変化を与えるかを当事者研究の立場で探索していきたいと考えています」とコメントしていました。
今後は研究期間での活動を中心に、これまでの26年間に渡る業務経験を活かした宇宙関連事業への助言や人材育成教育に尽力したいと考えているそうです。野口さんがいう人材育成教育の対象は、子どもたちだけではありません。
「若い人たち……子どもから、これから社会に出る人たち、あるいはすでに年齢的には上がっているけど、まだまだ夢を見ている人を含めて、子どもだと呼んでいます。やはり我々がやってきた宇宙開発、宇宙への色々な挑戦は、明るい未来に向けて我々は何ができるのか、未来展望をいかに描くのかというところに還元されていると思っています」
さらに、野口さんは企業との連携の可能性についても言及しました。
「JAXA職員として、子どもたちや宇宙を目指すベンチャー企業と携わるという手もあると思いますが、JAXAは非常にタレントが豊富です。私がJAXAに残るよりは、民間に出てフリーの立場で色々な方に助言する、あるいは一緒に物を作っていく方が日本全体で見たときにプラスになるのではないかというのがあります。(同じくクルードラゴンに搭乗した経験がある)星出宇宙飛行士はアメリカにいらっしゃるので、SpaceXの宇宙船に乗った日本人は国内に私一人しかいません。そういう経験(クルードラゴンに搭乗したこと)を団体や企業、学校が聞きたいということであれば、発信して行きたいなと思います」
アメリカではNASAの宇宙飛行士が引退後に宇宙ベンチャーに参画し、有人宇宙飛行のノウハウを活かして宇宙開発に取り組むケースも出てきています。野口さんの今後の活躍に期待が高まりそうです。