「目の前にチャンスが来たらフルスイングできる場所に」南相馬市で生まれた宇宙産業の集積とその熱量の裏側【Why Space 特別インタビュー対談】
今、福島県南相馬市に宇宙産業が集積し、宇宙産業に関する取り組みの熱量が高まっています。この地で、もともとは宇宙産業に関わらないキャリアを歩みながらも、現在は宇宙産業に関わり、その盛り上がりを加速させている3名にお話を伺いました。
非宇宙業界から宇宙業界に転職をした人に焦点を当てたインタビュー連載「Why Space~なぜあなたは宇宙業界へ?なぜ宇宙業界はこうなってる?~」は、公開から1年が経過し、おかげさまで10名を超える方に登場いただきました。
今回、Why Spaceの特別編として、福島県南相馬市にて、もともとは宇宙産業に関わらないキャリアを歩みながらも、現在は宇宙産業に関わり、その盛り上がりを加速させている3名にお話を伺いました。
1人目は、福島スペースカンファレンスの実行委員会を務める一般社団法人宇宙産業連携機構(AICA)の代表理事である但野謙介さん。NHKの記者としてキャリアをスタートし、パブリックアフェアーズ、南相馬市議会議員、ベンチャー企業の経営といったさまざまなキャリアを経て、現在はベンチャーキャピタルにおける投資業務や起業家支援プログラムを行うコワーキングスペースの運営など、幅広く活躍されています。
2人目は、同じくAICAの代表理事であり、ASTRO GATEの代表取締役である大出大輔さんです。大学時代に東日本大震災が発生したことから、耐震研究の道へ進み、キャリアの始まりは大林組。その後、内閣府主催の宇宙ビジネスアイデアコンテスト「S-Booster」で未来コンセプト賞を受賞、北海道スペースポートの運営会社であるスペースコタンの取締役COOとして参画したのちに、世界各地のスペースポートの企画から運営までを総合的に支援するASTRO GATEを創業されました。
そして3人目は、福島県南相馬市小高区に本社を置き、「ロックーン方式」という新たな打上げ方式での衛星打上げ用ロケットの開発を進めるAstroXの代表取締役CEO、小田翔武さんです。IT業界の連続起業家であり、元ミュージシャンという経歴も。福島スペースカンファレンスの第一回が開催された2023年9月。「その始まりには小田さんの思いと行動が大きかった、福島スペースカンファレンスの生みの親は小田さんです」と但野さんは話します。
宙畑編集部として、最初に南相馬市についてお話を伺ったのは同市役所農政課の大谷公伸さん、平将人さんのお二人と、今では120を超える地方自治体と衛星データを活用した「圃場dx」の実証を行っているというLAND INSIGHTの代表取締役・遠藤嵩大さん(当時は取締役)のインタビューでした。
当時、人口が減少してしまったことで一人当たりの業務時間が増えてしまっていたところ、人工衛星を使うことで「仕事に追われることなく、家族と過ごす時間を増やしたい」という言葉を農政課の方からいただいたことは、非常に印象に残っています。
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このインタビューを行ったのが2024年9月2日のこと。その3か月後の2024年12月10日、宙畑編集部として殿ナイトという、旧相馬藩の34代当主の相馬行胤さん、通称”殿”とともに相馬地域とは何か・野馬追とは何かを語り合うイベントに参加したとき、今も忘れない言葉が相馬さんから語られました。
当時、2024年1月1日に発生した能登半島地震から1年が経とうとしていた頃、復興に向けた課題も多く残されていると言われていた状況でした。そのようななか、東日本大震災から10年以上の時間が経過し「相馬藩の元気な姿を見せることが、能登の皆さんへの希望になる」と相馬さん(殿)が参加者全員に向けて語りかけられたのです。
実際に、参加者には様々な方がいらっしゃいました。例えば、相馬牧場の相馬秀一さん。南相馬市小高区で酪農を営んでいたなか、東日本大震災の発生後、警戒区域避難のため牧場を離れることに。その結果、育てられていた乳牛が餓死と殺処分せざるをえないという苦渋の決断をされたなか、酪農時に生産していた牧草やトウモロコシの飼料生産・販売と、羊の飼育で今もなお牧場を続けられています。殿ナイト、そして、福島スペースカンファレンス2025では、相馬さんが育てられた羊肉が振舞われました。
他にも、東日本大震災の後、重要な社会インフラである道路の復興に尽力された方、弁護士の方、建設会社の方……本当に様々な方がいらっしゃいました。
そして、その場には、宇宙産業に関わる多くの人の姿があり、南相馬市に関わる方々の大きなエネルギーを感じた瞬間でした。それから約1年が経過した2026年2月、内閣府が主催する宇宙開発利用大賞で、経済産業大臣賞を但野さんと大出さんが代表理事であるAICAが受賞することとなります。
AICAは「被災地から宇宙へ:福島発、公民連携による宇宙産業集積モデル」で、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた沿岸部で、土地の記憶に寄り添いながら新たな産業を創出した点が評価されました。主な成果には、2023年以降に宇宙スタートアップ8社などが拠点を構えた「産業集積」、地元企業とのサプライチェーン構築や宿泊需要増による「地域経済への貢献」、その結果、その土地を訪れる人が増えることによる震災の記憶を語り継ぐ「伝承」、そして「次世代への希望」が挙げられていました。
但野さんは、インタビューの中で南相馬市に宇宙産業集積の可能性があると最初から考えていたわけではないと話します。では、なぜ、どのようにして、福島県、南相馬市はこの短期間にここまでのスピード感を持って宇宙スタートアップの産業集積が実現したのか。
最初は、今回お話を伺った3名が歩んでこられたキャリアの軸から伺いました。
(1)キャリアの軸は3者3様、宇宙産業との交わり
–皆さんは、最初から宇宙業界に関わっていたわけではないと思います。これまでのキャリアは、どのような軸で選んでこられたのでしょうか。
但野:私は誘われたものに関しては、よほどのことがない限り、世のためになるものはすべてイエスと答えています。「震災で会社が潰れそうです。 助けてほしい」と言われて役員を引き受け、お金をかき集めて会社に貸して倒産を回避したり、復興を目的とした独立系ベンチャーキャピタル、スパークル(旧MAKOTO キャピタル)も一緒にやらないかと声をかけていただいて参画することになりました。最近では、とある市長選挙を1か月手伝ったこともありました。基本は困っている方がいらっしゃれば、私以外引き受ける方がいないだろうと思うものは引き受けるようにしています。お金ではありません。
大出:私は、どれだけ多くの人の役に立てるか、貢献できるか、ということがこれまでの軸なのだと思います。最初は、耐震分野の研究者になったことですが、それは東日本大震災が起きた当時、建築学科にいたことが大きく影響しています。建築の仕事は現場監督、設計者、研究者と大きく3つに分かれますが、現場監督、設計者だと携わることのできる建築の数は限られています。その点、研究者の場合は、すごいものを開発することでほぼ全ての建築に使われると思ったのです。
また、スペースポートの事業を行うことになったのも、これから非常に大きく伸びる宇宙産業の中で、建築がバックグラウンドで、かつ、日本人である私が、この業界に大きく貢献できる、そこから先のスペースポートを利用する方のためにもなるのではないか、という思いでした。
小田:私は本当にただの面白がりとして、さまざまな分野に好奇心を持ち、自分の興味関心が強いところをやってみて、それが面白いと思うかを大事にしています。宇宙に関して言えば、私がIT業界の企業経営をしていた時に、日本は構造的に負けてしまっていると感じていたところ、「宇宙であれば今がんばればなんとかなるかもしれない、日本の一大産業を作れるかもしれない、そしてロケットを押さえれば垂直統合ができてさまざまな面白いことができるんじゃないか」という思いです。
また、AstroXで掲げている「宇宙開発で“Japan as No.1”を取り戻す」というビジョンは、日本が全世界に誇れるものができたり、日本人がわくわくできる、日本の産業、ひいては、日本全体のマインドを変えることができるかもしれない。歴史を振り返ってみると、生きている中で自分の力で産業を作ったりとかする機会がそもそもないと思われるなかで、そのような機会があること自体が非常に面白いですし、そこを挑戦したいと思えたり、これまでやってきた経験などを生かして挑戦できるということに面白さを感じています。
──南相馬で宇宙産業に取り組むことになった経緯をあらためて教えてください。
但野:宇宙産業の取り組みは最初から狙っていたわけではありません。小田さんはもともと私がキャピタリストとして関わっているスパークルの代表の福留さんから紹介いただいたり、私が支援していた別のベンチャーの経営者の方が堀江貴文さんに南相馬を薦めたことがきっかけで、インターステラテクノロジズが開発拠点を置くことになったり。2022年から2023年にかけて、別々のルートから同時多発的に宇宙関連のスタートアップが南相馬に集まってきたんです。最初から意図していたのではなくて、気がついたらそうなっていたという感覚ですね。
大出:私は小田さんが南相馬で創業すると聞いたのが最初のきっかけです。ASTRO GATEで国内のスペースポート候補地を探していたなかで、南相馬は太平洋に広く開けた地形や高い晴天率、東京からのアクセスのよさなど、条件が非常に揃っている場所でした。
実際に南相馬の方々と出会ったのは、2023年に第1回の福島スペースカンファレンスをやろうという話になったときです。北海道宇宙サミットなどの企画に携わっていた経験があったので、その経験をふまえて相談をいただいたのが但野さんとの最初の出会いでした。
(2)福島スペースカンファレンス初開催、準備期間はわずか3か月?
──福島スペースカンファレンスが始まった経緯を教えてください。
小田:当時、福島県も南相馬市もロボットや航空宇宙、エネルギーなど複数のテーマを並列で掲げていて、宇宙はそのなかのひとつ。ただ、当時は「ロマンがあっていいよね」という印象が大きかったなかで、私は今すぐやらないと日本は宇宙産業で勝てないという危機感がありました。
大出さんがスペースコタン時代に携わられていた北海道宇宙サミットは「(宇宙産業は)今すぐやらないと日本の産業としては勝てないし、もっと本当に目の前の課題としてやる価値があるし、やらないといけないこと」ということがオフラインのイベントで熱量高く語られていて、実際に人が動き出していました。
そのような場が必要だと思って、2023年の4月頃に但野さんに相談しました。
但野:当時のことはよく覚えていますね。小田さんがいろいろなところでイベントをやりましょうと動いていたものの、すべて断られ、たらい回しになっていました。
私はキャピタリストとして小田さんに投資している立場でもあったので、投資先の経営者がイベント運営に時間を取られ続けるのは本意ではなく、本業に専念して欲しい立場でもありました。当時は、正直なところ、なぜこのイベントをやるのかはピンと来ていなかったのですが、小田さんがどうしてもやりたいと動いていたのを見て、「事業に専念してほしい。登壇する場所は地域側で作るから」と伝えて、運営を引き受けました。毎回「生みの親は小田さん」と挨拶しているのは、こういう経緯があるからです。
──南相馬市の協力はどのように得られたのでしょうか。
但野:最初は、2023年4月末にスタートアップと南相馬市の連携協定の式典があって、その場で門馬市長に直接「カンファレンスをやりたい」と話しました。私はそれまでも宇宙以外にいろいろと持ち込んでいたので、「また但野がなんか始めたな、まあやらせてみるか」とこれまでの関係もあって、前向きな回答をいただきました。
但野:もちろん当時はそのような予算は予定されていなかったので、できる限りでのご協力をいただきました。ちなみに、1年目は150万円ほどの赤字が出ています。
そして、門馬市長とお話をしてからさっそくゴールデンウィークに関係者を集めて、「とりあえず8月あたりにやりましょう」とノリで日程を決めましたね。準備期間はわずか3か月。南相馬市もその間に協力体制を整えてくれ、イベントをやりきることができました。
小田:イベント開催までの準備やその後のイベントを通して、門馬市長が「南相馬市はこれから宇宙産業に注力していく」と明言してくださったことで一気に南相馬市における宇宙事業の取り組みが加速して、翌年の2024年4月には市役所内に「宇宙室」が新設されました。その4か月後の8月には最初のロケットを打ち上げることができました。本当にスピード感がある場所だと思っています。
但野:第1回のカンファレンスには内閣府宇宙開発戦略推進事務局の山口真吾参事官も来てくださっていて、その場で「もうここからロケットを打ち上げたらいいんじゃないですか」という話も出ました。最初からこの地でロケットを打とうという共通認識があったわけではなかったのですが、関係者が一堂に会したことで話が一気に具体化していきましたね。あのカンファレンスはひとつのエポックだったと思います。
(3)最初のロケットの打上げは怖かった。けれど、プロセスにも意味を感じられるようになった
──宇宙カンファレンスの立ち上げ時は、但野さんは最初はピンときていなかったと話されていました。いつ頃から宇宙事業をやっていてよかった、今後も新しい展開がありそうだと見え始めたのでしょうか。
但野:正直、最初はすごく怖かったです。被災地ではこれまでにも一時的に大きく盛り上がった産業がいくつもありました。その繰り返しをずっと見てきた中で、いなくなる方は去ってしまえばそれで終わりですが、私はこの地にずっといる可能性が高い人間です。どうなるかわからないものに全力でコミットするのは、やはり覚悟がいります。第1回のカンファレンスが終わった時点でも、「次もやるけど、本当に大丈夫なのか」という気持ちはまだありました。
──その気持ちが変わったきっかけは。
但野:小田さんの会社がロケットを打ち上げたときです。地域の方々がすごく応援してくださいました。なかでも「津波の後、下を向いて遺体を探していた場所で、初めて空を見上げた」という話を聞いたときに、チャレンジがうまくいくかどうかは別として、このプロセスそのものにちゃんと意味があるんだと思えるようになりました。地域の方々もロケットの打ち上げに立ち会ったことで、宇宙に対してまた違う意味を感じてくださったのではないかと思います。
──打ち上げに至るまでの調整は相当なご苦労があったと伺っています。
但野:第1回のカンファレンスが終わった後、私と南相馬市の職員で関係省庁を回り始めました。ただ、当初は非常に厳しい反応で、他の地域はもう何年も前から動いている、今さら来ても入る余地はない、といったコメントをいただいたこともありました。悔しかったですね。お金の話をしに行ったわけではなく、ロケットを打ち上げたいという意思を伝えに行っただけなのに。でも、だからこそ「絶対にやってやる」と火がつきました。市長にも体制整備を相談し、そこから最速で打ち上げを目指す方針に切り替わったんです。
──その後、2026年2月にはAICAが宇宙開発利用大賞で経済産業大臣賞を受賞されました。
但野:当初は南相馬市の取り組みについて、懐疑的な対応をされた方からも、受賞を機にお祝いの言葉をいただきました。何もない頃から見てくださっていたんだな、と。最初の反応が厳しかっただけに、成果を積み重ねて評価が変わっていったことは素直に嬉しかったですし、一歩一歩やってきたことは間違いではなかったという手応えにもなりました。
(4)伴走ではなく、ワンチーム。南相馬市の魅力はスピードと環境
──今、多くの宇宙企業が南相馬市に拠点を構え始めています。その魅力はどのようなポイントにあるのでしょうか。
但野:地元の方に「今までお金目当てで来た人たちは、3年いて補助金が切れたらみんないなくなった。ただ、宇宙はみんな残るね」と言われたことがあります。なぜ残るのかというと、皆さんが土地や環境そのものに価値を感じて来てくださっているからです。もちろん補助金や助成があることもメリットですが、それだけではなく、他の場所では得られない何かを私たちが提供できている。そこは取り組む意義を感じるところです。
大出:例えば、南相馬市は、ロケット発射場にとって非常に重要な地理的な優位性をたくさん持っています。太平洋に広く開かれていていろんな軌道傾斜角にロケット打ち上げやすいこと、晴天率も高く、風も非常に穏やかなど、1年を通して安定した環境でありながら、東京からのアクセスも良いこと、そもそも航空宇宙系の産業が育っていることなど、世界に類を見ないようなアドバンテージが南相馬市にはあると考えています。
小田:創業前にさまざまな自治体に話を聞きに行ったのですが、南相馬市は決断のスピードが早く、新しいことに取り組む姿勢が明らかに違います。「来年度に向けて検討しましょう」ではなく、「今年度で何ができるか」「今の予算をどう組み替えられるか」という話をしてくれます。何かをやりたいと言ったときに、できない理由ではなくどうすればできるかを一緒に考えてくれる。その姿勢はこの地が一番強かったです。
但野:スピードは非常に意識しているところです。他の場所だと年単位でかかるようなことが、南相馬ではすぐに動き出せる。加えて、私たちは起業家が来てくださったときに、投資家をセットでご紹介できるようにしています。私自身が投資させていただくこともあれば、別の投資家におつなぎすることもある。動き出しの一歩をとにかく早く踏めること。それが南相馬が選ばれている大きな理由のひとつだと考えています。
また、行政の観点から考えると、宇宙産業は行政の支援のしやすさという観点では構造的に相性がよいと考えています。
宇宙産業は回収の時間軸が長く、動くお金も大きい。短期間で回収するビジネスだと、人を出し抜いたほうが得をする構造になりがちですが、宇宙はそうはいかない。足の長いビジネスだからこそ、私たちと同じ時間軸で意思決定していける。地域側としても応援しやすいし、一緒にやりやすい。この構造的な相性のよさは、実際にやってみて強く感じたことですね。
──但野さんをはじめ、南相馬市の皆さんは非常に心強い伴走者というように感じました。小田さんと大出さんは、南相馬市の皆様とはどのような関係性だと考えていますか?
小田:行政に伴走してもらっているというよりは、ワンチームという感覚です。但野さんも南相馬市の職員の方々も、完全に一体となって動いてくれている。正直なところ、僕らだけで推進できたことはほとんどなくて、「こういうことがやりたいです」と伝えるだけで、それをみんなが一緒になって形にしてくれている。そういう関係性です。
大出:私も同じですね。ロケットの打ち上げに関して実現したいことはたくさんあるんですが、それを実際に進められるのは、市役所の方や但野さんが関係者との調整や手順の整理を丁寧にやってくださっているからです。自分たちだけでは到底たどり着けなかったと思います。
(5)宇宙をきっかけに人が来て、南相馬市を好きになって戻ってくる
──宇宙産業が南相馬市に集まることで、経済以外に地域にとって良かったなと実感したことはありますか?
但野:宇宙をきっかけに南相馬を訪れる人が増えたことで、震災の伝承ができるようになったことだと思います。視察や大会で全国から来られた方に、語り部の方が被災地を案内する機会を設けています。例えば、宇宙甲子園のモデルロケット部門に出場した学生やご家族が、被災地の案内を受けて「また来ます」と言って帰ってくださいました。
──大出さんは、地域の皆様との関わりのなかで意識していることはありますか。
大出:打ち上げの際には、必要な資材やサービスについて、但野さんや市役所の方に「地元ではどの会社さんがありますか」と積極的に聞いて、できる限り地域の企業にお願いするようにしています。宇宙産業が地域にとって実際の仕事や利益につながっている、という実感を持っていただくことが、長くこの地で活動を続けていくうえでとても大切だと考えています。
小田:本当に応援の声を多くいただいています。この地でしっかり産業ができるということを理解してくださり、本当にありがたいなと思っています。
一方で、現時点では100%の方に理解していただいているという状況ではありません。
大前提として、どのような意図でこの会社を立ち上げたのか、どういう思いでこの産業を作ろうとしてるのかというところは、私達からも絶えず発信し続ける責任があると思っています。
住民の方への説明会など、できる限り地元の方とのコミュニケーションを心がけて、その点についてはスピード感を持ちすぎず、一歩一歩きちんと進めていこうと考えています。
(6)15年前に南相馬市でロケットを打上げるなんて思いもしなかった。15年後の展望は
──2040年に向けて、それぞれどのような姿を思い描いていますか。
但野:正直、まったく想像がつかないです。2011年から今をまったく想像できなかったのと同じぐらい、ここから先の10年、15年も想像がつかない。15年前にこの場所でロケットを打ち上げているなんて、思いもしなかったですから。ただ、僕たちは登れるところまで全力でひたすら登るだけです。最近はAIのエージェントも活用して、小さなチームでかなりの業務量をこなせるようになってきました。以前ならお金も人も必要だったことが、今日からすぐやろうと言えばできる環境になりつつある。いろいろな面で追い風を感じています。
大出:2040年までには、この地に複数の発射場ができていて、毎月1機以上のロケットが打ち上がっている姿を目指しています。宇宙輸送を支える重要な拠点にこの地がなるとともに、地域も、そして日本全体も発展していく。さらにその先には、スペースポートを起点としたP2P、つまり大陸間の高速移動の実現があります。今、飛行機で15時間かかっている場所に1時間以内で行ける。そういう未来を本気で目指しています。
小田:15年前の時点でもITという技術はありましたが、それが今のiPhoneやAIのような形で社会をここまで変えるとは誰も予測できなかった。でも、ITがあらゆる産業に関わるということ自体は見えていたと思うんです。宇宙もそれに近い。宇宙がどう使われて人類がどうなるかは予測できないけれど、人類が宇宙を活用するという方向性はもう不可逆です。
15年後にはロケットがバンバン打ち上がっていて、「ロケットが打ち上がる」という表現自体に違和感があるぐらいになっているんじゃないかと思っています。大事なのは、そうなったときに日本がちゃんとポジションを持てているかどうか。そのために、まずは輸送というインフラをしっかり確立したいですね。
──宇宙を「夢やロマン」ではなく、産業として定着させるために必要なことは何でしょうか。
小田:いい意味で宇宙は応援されやすいテーマですが、そこからは脱しないといけない。足元で宇宙を使って実際に稼げる事例が出てくれば、自然と産業としての見られ方も変わっていくはずです。
大出:科学や探査、ワクワクという文脈で語られることがまだ多いですが、とにかく早く稼げる産業にしていくことが大切です。地元の方々にも、宇宙産業から実際に仕事が生まれて利益につながっているという実感を持っていただくことが、取り組みを前に進める力になると思っています。
(7)チャレンジする時が来たら、フルスイングできる場所、南相馬市
──最後に、南相馬で宇宙に関わりたいと考えている方へメッセージをお願いします。
大出:まずは一度、南相馬に来ていただきたいです。魚も肉もお酒も美味しくて、私自身、この地に関わるようになってからの約2年間で10キロ太ったぐらい、居心地のいい場所です(笑)。宇宙産業の環境としてだけでなく、暮らしの面でも非常にいいところなので、南相馬で何かを始めるという選択肢をぜひ持っていただけたらと思います。
小田:新しい産業を地域に作ろうとする以上、すべての方に理解していただくのは難しいと思っています。ただ、どのような意図でこの会社を立ち上げて、どのような思いで宇宙産業を作ろうとしているのか。それを絶えず発信し続けるのは、僕ら事業者側の責任です。伝え続けることはやめないつもりですし、その姿勢を見て一緒にやりたいと思ってくださる方がいたら嬉しいですね。
但野:無理にチャレンジする必要はないと思っています。ただ、自分がどうしてもやりたいと思えることが目の前に来たときに、フルスイングできるかどうかはすごく大事です。南相馬にはそれができる環境があります。実際に、ここに来たことがきっかけで宇宙に関わる事業を始めた方もいます。ぜひ一度来てほしい。南相馬は楽しいです。そういう場所であり続けられるように、これからも頑張っていきます。

