宙畑 Sorabatake

衛星データ入門

熊本城は令和時代でも落とせない!? 城の専門家が語る加藤清正の選地の妙

「ちょっと尋常じゃないですよね」お城の専門家も唸るのは加藤清正が築城した熊本城。築城技術もさることながら、ここしかないという場所に城を作った加藤清正の選地センスがとにかく凄いんです。

熊本生まれ、熊本育ち、熊本を愛してやまない宙畑編集長の中村。
熊本城の素晴らしさについて、衛星データを使って解き明かしたいと思い立ちました。

今回の記事では、宙畑編集部が実際に城郭について研究する研究者の方に、熊本城について、衛星データ他、様々なツールを用いて、そのすごさを教えてもらいました。

これを見ればお城を楽しむ多角的な視点を得られるかも!?

今回お話を伺った先生

加藤理文先生
1958年、静岡県生まれ。駒沢大学文学部歴史学科卒業。文学博士。静岡県教育委員会を経て、袋井市立浅羽中学校教諭。公益財団法人日本城郭協会理事・学術委員会副委員長。城郭研究家、特に織豊系城郭がご専門

インタビュワー

宙畑編集長・中村
熊本県出身で、熊本を愛してやまない宙畑編集長。お酒を飲めるようになってから馬刺し、からしレンコン、一文字のぐるぐるがある熊本愛がさらに深まる。熊本城の天守閣に登ったことがあるのは4回(今回のインタビュー後の現地取材含む)。宙畑でもなにかにつけて、熊本ネタを挟んできて、編集部を呆れさせている(らしい)。

(1)宇宙の目があっても落とせない熊本城の戦地の妙

宙畑:加藤先生がお城を好きになったきっかけはなんですか。

加藤先生:僕がお城を好きになったのはだいたい小学校5年か6年くらい 。プラモデルをよく作っていたんですけど、小学校5年くらいの時に城のプラモデルを作るようになったんです。そこからお城にのめりこむようになりました。

僕たちの時代って、お城の研究が学べるところが全然なかったんですよ。第二次世界対戦で日本が負けてから、「軍事」というのはアンタッチャブルなんですよね 。お城も「軍事」という意味合いが強くなってしまうので、どうしても引いてしまって、学問的レベルではなくなってしまう。お城がちゃんとして評価されるようになったのは、ここ十数年の話なんですよ。

宙畑:お城と聞くとその研究の歴史も長いように思っていましたが、意外にも最近の話なんですね!お城の研究では、衛星画像や航空写真を使った研究もされるんでしょうか。

赤色立体図。地形がよく分かる表現になっている。
Credit : 国土地理院 Source : https://www.gsi.go.jp/bousaichiri/release_thematic_maps_20180606.html

加藤先生:これまでは飛行機を飛ばして、航空写真や立体的な形状を撮っていました。
最近では、アジア航測さんが 作る赤色立体図(せきしょくりったいず)という測量図が精度も高くてよく使っていますね。

宙畑:すでに航空写真を使われているんですね。ではさっそく、お城についてお伺いしていきたいと思います。先生は、日本一強いお城はどこのお城だと思いますか。(熊本城という答えを強く期待)

加藤先生:僕たち城の研究者からすると、最強の城がどこかという質問はナンセンスですね(キッパリ)

同じ人数、同じ武将で攻めるなら分かりますが、多くの場合は違うので、何を比較して、そんなことを言ってるの?となってしまいますから。

宙畑:なるほど、、、(やばい、、、最初の質問を間違えたかな、、、気を取り直して)先生は「熊本城を極める」という本も執筆されていると思うのですが、熊本城のすごさについて教えてください!

加藤先生:熊本城を作った加藤清正は、城を建てる場所を選ぶ(選地)の仕方が上手いんです、天才です!

宙畑:やっぱり、そうですよね! もしこの時代に衛星データがあったら、熊本城は落とせましたかね?

加藤先生:熊本城を落とせるのは、徳川幕府が全軍を率いてくるとか20万の大軍を連れてくるとかじゃないと落ちないと思いますね。僕が熊本城を攻めろって言われたら、嫌ですね~(笑)

宙畑:熊本城は現代の最先端技術「衛星データ」を使っても落とせない、やっぱりすごいお城なんですね!そのポイントを詳しくお伺いしていければと思います!

(2)熊本城のここがすごい! その①台地の端に建てられた熊本城

Tellusを使って、熊本城周辺の地図(Open Street Map)と地形(国土地理院の色別標高図)を重ねた様子。中央の青いピンが熊本城。北側から南へ伸びる高台の先端に熊本城が築城されていることが分かる。

宙畑:「選地の仕方が上手い」というお話が出ましたが、この点について詳しく教えていただけますか。

加藤先生:地形を見ると、清正が相当お城の作り方がお上手な人だったっていうのがよく分かるんです。

加藤先生:当初、加藤清正がこのあたりに入った時に城を作ったのは、今の熊本城の場所から少し南にある、現在の熊本県立第一高等学校のあたりだったと言われています。

関ヶ原の戦いに勝った後、石高をたくさんもらって、石高に合った城を作るために、少し北のもう少し広いところに中心部(現在の熊本城)を移します。

周辺の地形を見ると、北から伸びる高台の先端に城を持ってきていますね。こうすることで、三方を崖に囲まれて 一方だけ陸続きという、理想的なお城の配置になっています。

加藤先生:そして、城の北側は掘割をして完全に侵入できないようにしています。今は道路になってますよね。

宙畑編集長が1,000回は通ったという、熊本城の北側の堀。左側が熊本城。今は道路になっている。

宙畑:えー、あそこって人工的に掘られた場所だったんですか!? あの場所にかかっている橋、私、東京に出てくるまでの人生20年で1,000回以上渡ってますが、全く知らなかったです(笑)

(3)熊本城のここがすごい! その②石垣の壁と河道を変える技術力

宙畑:北側は堀が切られていて、攻めるのは難しいということですね。他の方角はいかがでしょう。

Tellusを使って、熊本城周辺の地図(Open Street Map)と国土地理院の治水地形分類図を重ねた様子。中央の青いピンが熊本城。南と東を川に囲まれている。

加藤先生:東側にも南側にも川があって、攻めるのは無理じゃないですかね (バッサリ)。

加藤先生:この坪井川は、城の南を西へ流れて古城の南付近で放生池の水路と合流し、南へ下って白川へ出ていました。それを古城の南付近からさらに西へ延ばして井芹川と合流させ、そして南へ下って白川の本山付近へ出るように改修し、城を取り囲むようにしたんです。

宙畑:川の流れを付け替えてちゃんとお城の周りを囲むように、うまく流しているんですね!

加藤先生:加藤清正は本当にお城の作り方がうまいですよ!

宙畑:子供のころ名前だけ聞いていた親戚のおじちゃんが、実はものすごい人だったんだという気持ちで少し照れます(笑)

加藤清正が城に沿って河道を変えたと言われている坪井川。両脇が石垣で囲まれている。

加藤先生:河道を変えるって難しいんですよね。人工的に改変するのは石垣がないとできないんですよ。河道を変えたとしても、土では止めることはできません。自分の思う通りに川の流れを変えるのは、石垣がないと無理なんですよ。

さらに石垣を使って、城の北東の蛇行する坪井川の東側に、坪井川の水を取り込んで南北方向の水堀を設け、防御を固めています。

つまり、中世以降に石垣の技術が発達したことによって、加藤清正が自分の思う通りの城を作ったということだと思うんですよ。

宙畑:加藤清正が土木の神様と言われる理由がよくわかりました!

(4)熊本城のここがすごい! その③唯一攻められる南西側の清正の仕掛け

宙畑:そうなると、残る攻め口は西側ですか…?

加藤先生:そう!西は”わざと”広くなってるんですね。ダラダラと長くとっているのが分かりますか?

その道の上と下は両方とも高くなっていますよね。つまり、敵が入ってきたところを、南と北の高い所から挟撃するんでしょうね。わざと敵方に、西側のこの経路に来させるっていうのもあるかもしれないですね 。

この道を入ったが最後、両脇の高いところから攻撃されるということか……。写真はなだらかな部分を少し進んだ場所。

宙畑:ここも人工的に切り開いているのですね。衛星データから見てもここに誘いこまれる……。

加藤先生:そして両脇からの攻撃を抜け出したとしても、北側に行ってしまうと、城内に入るまでの唯一の門が立ちはだかり、東側、北側の石垣上から、さらに、東側の最北端は重層櫓になっており、櫓からも攻撃されるというわけです。

この道は参勤交代のルートにもなっており、薩摩藩の島津氏はこの道を通ることを極端に嫌がったと言われています。

この先は行き止まりとなる北方向の道

宙畑:加藤清正さん、半端ない……! そうすると唯一残された道は東側の細い道でしょうか。

加藤先生:平坦面が続いて上がってくると、西側に突出した堀で区画された西出丸から横矢が、正面飯田丸、北東数寄屋丸からも攻撃されてしまいます。

過去の熊本城の写真。奥に見えるのが大天守だが、それまでに天守閣級の櫓が複数あり、攻め入る気力がなくなります……苦笑

他の所はこれまで説明した通り、攻めてこられないと思うんですよ。崖地形だし石垣も高いし、何もしなくても大丈夫。だから、戦いになった時は西側だけに 兵を置いておけば、守れるだろうと、そういう作りだったんじゃないかと思いますね。

近代戦でも西南戦争の時に西郷軍が熊本城を攻めましたが、最後まで城の中まで誰一人入ることは出来なかった。熊本城は江戸の初めに作った城なのに、兵力も近代化して大砲も使って、鉄砲だって昔の鉄砲じゃない西郷軍が一歩も入れなかったというのは、それだけ熊本城の守りは鉄壁だったということでしょう。西郷隆盛もきっと熊本城の守りがここまで硬いとはきっと思ってなかったでしょうね。

天守閣から眺める南西側の景色。今は木が生い茂っていますが、当時は木があると敵が利用して隠れるなど、される可能性が高かったため、木は少なかっただろうとのこと

(5)城の専門家も白旗? 令和時代でも攻め入る隙がない

標高データ(左)や衛星データ(右)でみる熊本城。加藤清正の様々な工夫が見えてくる。

宙畑:これまで伺った話を総合すると、戦国時代に現代の叡智「衛星データ」があったとしても、我々熊本が誇る熊本城は落とせないですね。

加藤先生:どこから攻めようかって考えるでしょうが、こうやってデータで見ても隙がないですよね。

周りを取り囲みきれないので、熊本城を攻めるとしたら佐賀県だけではダメで、佐賀県・長崎県・福岡県・大分県 ・宮崎県・鹿児島県の人達が総出で攻めないと落ちないレベルですね。

宙畑:どうして加藤清正はこんなに守りの固い城を作ったのでしょうか。

加藤先生:おそらく加藤清正が朝鮮に行ったのが関係してると思うんですよ。朝鮮出兵して、敵地の中で戦わないといけない、日本で戦うと白旗をあげれば降参すれば命は助けてくれるんですよね。だけど向こうって言葉が通じないじゃないですか。

熊本城天守閣内で展示されていた「御城内御絵図」。図をよく見ると井戸のマークがいたるところにあることが分かります。
熊本城内にある井戸のひとつ。中を覗くと水があることが分かりますが、熊本城のガイドの方によると30m以上の深さがあるそう。

その状況で、完全に水がないところで水まで絶たれて、籠城する経験もしているので、水の大事さも分かっていますね。実際、熊本城には120程の井戸が掘られていたようで、現在も17箇所の井戸が現存しています。

そういう意味では色んな自分の経験の中で作った城っていうのが大きいんでしょうね。経験値の中で作られた城。僕たちから言うと過剰防衛だと思うんですよ。ここまで防衛しなくても十分持つのにそれでもかこれでもかっていうくらいに防御に工夫を凝らしている。ちょっと尋常じゃないですよね。

(6)最後に~築城の選地と現代の選地~

宙畑:先生今日は色々とお話を聞かせていただき、ありがとうございました!
大好きな熊本が誇る熊本城が、衛星データや地図データでみても、こんなに素晴らしいことが分かるなんて、感無量です!

加藤先生:衛星データを使って、他のお城を見てみるというのも面白いかも知れませんね。例えば、彦根城の場合、城を作る時の場所の候補が3つあって、その中から彦根山を選んだという経緯があるんですが、その3つの山を衛星データで見比べても面白いかもしれません。

宙畑:それも面白いですね!!!!!ぜひ、また衛星データを持ってきますね!!!!!!

今回の記事では、お城の専門家である加藤先生に、地理空間データでみる熊本城のすごさをとことんお伺いしました!今回は江戸時代のお話でしたが、何かをするのに適切な場所を選ぶ「選地」は現代の私たちにも、使うシーンは数多くあります。

例えば、新しい大型スーパーの出店はどこにすべきか、小学校はどこにあるよ良いのか、携帯電話の基地局などの選定も、地形や人の流れに大きく関係してきます。

皆さんも、衛星データを始めとする地理空間データを見ながら、自分なりの「選地」をしてみませんか。

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