アポロ計画からみる宇宙のトイレ事情!宇宙船トイレの発展の歴史
アポロ11号の月面着陸50周年を記念した連載企画の第5回目では、多くの読者の方々からの要望にお応えし、宇宙飛行士への質問でも人気が高い「無重力環境下におけるトイレの問題」について焦点を当てます。月面着陸から44年の歳月が経ってから公開されたアポロ計画でのマル秘エピソード、有人宇宙開発の黎明期から現在の国際宇宙ステーションに至るまでの無重力環境下での排泄方法の変遷について、アメリカとロシアのトイレ開発の視点から振り返りたいと思います。
アポロ計画のトイレ騒動
トイレの発展~ジェミニ計画から国際宇宙ステーションまで~
ロシアの宇宙トイレ
長期滞在で顕在化する女性のトイレ問題
宇宙における理想のトイレとは?
世界には衛生状態の良くないトイレを使用している人口が約20億人いると言われています。世界が抱えるトイレの課題は、国連の開発目標などでも必ず挙がるテーマの一つです。例えば、マイクロソフト創業で巨万の富を築いたビル・ゲイツ氏によって設立された世界最大の慈善基金団体ビル&メリンダ・ゲイツ財団では、下水施設に頼らないトイレの開発に力を入れています。当たり前に温水洗浄便座トイレの恩恵を受けている私たち日本人ですが、それは世界では「贅沢」の象徴でもあります。
読者のみなさまも、今まで数多くのトイレトラブルに遭遇しているのではないでしょうか。「汚い」から連想すると、便器の汚物付着、流し忘れ、屋外の清掃が行き届いていないトイレ。「困った」と言えば、トイレットペーパーがないトイレ、鍵が閉まらないトイレ、詰まりによるトイレの逆流、行列のできたトイレ、和式トイレで困る外国人観光客など。
果たして、宇宙ではトイレをめぐりどんなドラマが生まれてきたのでしょうか。材料力学、生理学、心理学などを総動員して考えるトイレの設計から何が見えるのでしょうか。地球とは異なり、宇宙には下水道や下水処理場がありません。水1リットルは1キログラムに相当します。宇宙では水はとても貴重な資源です。臭いものには蓋をせず、あえて今回は蓋を開け、宇宙のトイレの謎に迫りたいと思います。
(注意!)お食事前にこの記事を読もうとされている方は、ぜひこのあたりでいったん読むのを止めていただければと思います。
アポロ計画のトイレ騒動
1961年5月5日、アラン・シェパード宇宙飛行士がアメリカ初の有人宇宙飛行に成功した際、発射台で排泄機能がない宇宙服のなかで用を足したことが宇宙開発における排泄問題の発端でした。その後に続くジェミニ計画では、ジェミニ7号で排泄物を格納している袋が2週間の地球周回ミッションの半ばで破裂してしまいました。「野外便所に、2週間閉じ込められているようだった」とジェームズ・ラベル宇宙飛行士は振り返ります。
アポロ計画では、幅が約20センチメートルで、輪の形をした口に接着剤がついた大便回収袋を使用していました。薬品を入れないと大腸菌が便を分解してガスを発生させ袋を破裂させてしまうため、使用後はバクテリアを殺すための錠剤を投入し、良く揉む必要がありました。「仲間が真の仲間であるかどうかは、相手が自分の袋を揉んでくれたかで判断できた」と、ある宇宙飛行士は冗談を飛ばします。当時、服を脱ぐ工程も含め、トイレは約45分掛かりました。(*1)
その他にも、アポロ計画にはこんな逸話があります。
【アポロ8号】
おそらく宇宙ではじめて下痢に対処したのは、アポロ8号のフランク・ボーマン宇宙飛行士でした。身体を宇宙環境に適応させる過程で、体調不良に陥ってしまいました。液状化した便だと通常の袋では対処しきれないため、ジェミニ計画から下痢止め薬が用意されていましたが、ボーマン宇宙飛行士は服用するタイミングを逸してしまいました。結局、無重力下の船内は分離した下痢と嘔吐物まみれになってしまい、仲間がペーパータオルを使って極力船内を清掃しなければならなかったようです。昔はミッションから降ろされたくなかったため、宇宙飛行士は体調不良や身体の不調を極力隠そうとしていました。宇宙飛行士たちの身体的、精神的な強さと弱さが伝わってくるエピソードですね。
【アポロ9号】
アポロ計画では、宇宙船を傷つける可能性があるので、大便回収袋を船外に廃棄することはありませんでしたが、尿は宇宙空間に捨てていました。尿を船外に放出すると瞬時に凍り、幾千の氷の結晶を生成します。その結晶が太陽の光に当たると、キラキラと輝きます。アポロ9号のラッセル・シュウェイカート宇宙飛行士は、太陽が沈む日没時、尿を司令船外に捨てた時の光景が軌道上で一番美しい景色だったと回想しています。
【アポロ10号】
アポロ10号では機密情報公開と共に、意外なサプライズも出てきました。アポロ計画から44年後に公開された交信記録では、宇宙船内を浮遊する「塊(turd)」について、ミッションコマンダーのトーマス・スタフォード宇宙飛行士、月着陸船パイロットのジーン・サーナン宇宙飛行士、司令船パイロットのジョン・ヤング宇宙飛行士が「誰のだ?」と会話を交わしています。ミッションの6日目に起きた騒動をみてみましょう。
交信記録 p.414
スタフォード:「あ…誰だ?」
ヤング:「誰だって、なにが?」
サーナン:「あれはどこから来たんだ?」
スタフォード:「紙を早く取ってきてくれ。塊が浮いてるんだ。」
ヤング:「俺じゃないよ。俺のやつじゃないよ。」
サーナン:「俺のでもないと思う。」
スタフォード:「俺のはもっとベトついていた。捨てろよ。」
(3人笑い)
そして、10分後に再び会話が交わされます。
交信記録 p.419
サーナン:「なあ、また塊が浮いてるぞ。おい、お前らきちんと始末してるのか?ほら、渡してくれ…」
(ヤングとスタフォードの笑い)
スタフォード:「ただ浮いてただけ?」
サーナン:「ああ」
スタフォード:(笑い)「俺のはもっとベトついてた。」
ヤング:「俺のもだ。それにちゃんと袋に…」
サーナン:「あれが誰のか分からないな。俺のだと主張することも、否定することもできないよ」(笑い)
ヤング:「一体なにが起こってるんだよ」
トイレの発展~ジェミニ計画から国際宇宙ステーションまで~
それぞれの有人宇宙計画では、宇宙での滞在日数が異なります。宇宙のトイレがミッションの日数に応じて、どのように発展してきたかを追ってみたいと思います。
地球周回軌道で宇宙実験を行ったスカイラブ計画では、宇宙で初めて男女共用個室トイレが登場しました。トイレの座席はプラスチック材で覆われ、身体が浮かないようにシートベルトなども取り付けられていました。排泄物は空気で吸引されます。この、お尻に当たる空気が冷たいのだとか…!尿の回収にはロート型器具が使われ、固形排泄物は袋に回収され、加熱・真空室で乾燥されました。尿は少量を冷凍保存し、固形排泄物は乾燥後すべて保存され、医学分析のため地球へ持ち帰られました。(*3)
そして、スカイラブ計画から改良されたスペースシャトルのトイレでは、身体からわずか数十センチメートル下で、1分あたり1200回転を誇るフードプロセッサーで使われるようなブレードが装備されました。排泄物をトイレットペーパーと一緒にどろどろのパルプ状にして汚水タンクの壁に投げつける仕組みでした。
50回にも及ぶスペースシャトルのミッションでは、数多くのトイレ問題が発生したことが報告されています。例えば、宇宙空間の低温と低湿度にさらされた時、凍った糞便が粘性を失い、ブレードに叩かれて塵になり、宇宙船のキャビンに広がってしまったこともあるそうです。(*1)これは「ポップコーン現象」と呼ばれました。
国際宇宙ステーションには現在、ロシアモジュールに1台、米国モジュールに1台、合計2台のトイレが設置されています。どちらのトイレもロシア製で、米国はロシアから約1900万ドルでトイレを購入しています。(*4)尿や便は漏れない容器に入れて、他のゴミと一緒に無人輸送用船に積まれ、大気圏再突入時に燃焼処分されています。国際宇宙ステーションの常時最大収容人数は6人ですが、最大13人が一堂に会したこともあります。今まで宇宙では、トイレの争奪戦が繰り広げられたことがあるのかもしれませんね。いや、きっと宇宙飛行士のみなさんはマナーをもってトイレを譲り合っていることでしょう。
トイレの設計のみならず、宇宙では排泄についても工夫しています。例えば、排便回数を最小限にするため、薬を服用することも今までありました。また、尿意や便意の感じ方が地球上とは違うため、宇宙飛行士はある程度時間が経過したら排泄するように指示もされているようです。
ロシアの宇宙トイレ
一方、国際宇宙ステーションのトイレを独占するロシアがどのようなトイレを開発してきたのか、ご紹介したいと思います。
まずは、今でも国際宇宙ステーションとの往還で使われているソユーズ宇宙船のトイレについてです。排泄物を空気で吸入する仕組みで、ソユーズのトイレは打ち上げから軌道上に至るまで、約2日間の排泄に耐える容量があります。容量が制限されているため、排便は極力推奨されていません。そのため、飛行前には食事制限と事前に排便を防ぐ措置がとられています。
サリュートのトイレにドアがなく、プライベートな空間を遮るのはカーテンだけでした。続いて、ミールには2台のトイレが設置されました。尿を飲み水に再生する技術が登場したのも、排泄物の大気圏突入による燃焼処分が採用されたのもミールからでした。尿はフィルターを通して回収され、蒸留水、硫酸、三酸化クロム酸で水素イオン指数pHを1.3から2.0程度に処理し、尿の酸性度を下げ容器に格納されました。そこから酸素と水素が抽出され、酸素は船内に再び送り込まれる技術が発達しました。尿は船外に廃棄されましたが、約10年の運用にわたって、尿により船外太陽電池の効率が40%低減したと言われています。(*5)一方、固形排泄物は21回分の排泄を格納できる容量を持つ小さな缶に保管されます。ミールトイレの改良版が、現在国際宇宙ステーションで使用されています。
長期滞在で顕在化する女性のトイレ問題
1963年、ソ連のワレンチナ・テレシコワ宇宙飛行士が女性として初めて宇宙飛行を成し遂げました。一方、アメリカが女性のサリー・ライド宇宙飛行士を初めて宇宙に送り出したのが20年後の1983年です。それ以来、約60人の女性が宇宙に飛び立っています。今まで最長の宇宙滞在を経験している女性宇宙飛行士は、2017年に665日を記録しているアメリカ人のペギー・ウィットソン宇宙飛行士です。それ以前は、イタリア人のサマンサ・クリストフォレッティ宇宙飛行士の199日でした。(男性の長期滞在記録は2015年、ロシア人のゲンナジー・パダルカ宇宙飛行士で879日)
そこで気になるのが、宇宙に滞在する女性がどのように月経(生理)に対処しているかという問題です。地球には重力があるので、無重力状態では経血は体外に出てこないのかとふと疑問に思います。現在、無重力状態でも経血が体外に排出され、生理周期も影響されないことが確認されています。それでも、宇宙に持って行ける水や日用品の重量が限られているため、多くの女性が短期ミッションではピルを服用して生理を止める選択をしているようです。ピルにはホルモンのエストロゲンが含まれていて、宇宙での骨粗しょう症を防ぐ効果も指摘されています。ただ、宇宙で生理を止めるのか止めないのか、その判断は宇宙飛行士と担当医に一任されています。
2009年に国際宇宙ステーションへ設置された尿を飲み水に変える装置は、経血のろ過は考慮されていません。火星まで片道2年掛かると言われる長期ミッションなどでは、ピルの服用(効用:2週間)以外にも、IUD(子宮内避妊用具)(効用:3-5年)や注射による避妊薬(効用:2-3年)なども検討されています。
宇宙における理想のトイレとは?
宇宙開発でトイレの設計を担ってきた米ハミルトン・サンドストランド社は、現在開発が進められているオリオン宇宙船カプセルのトイレ開発にも携わっています。トイレの機能試験のため、1日36リットルの尿を必要としているのだとか!?
「友人を失いたくなければ、トイレを正しく使うことがなによりも大切でした」「騒動をきっかけとして、単調さが一気に解消された」。宇宙飛行士のみなさんは語っています。快適さが求められるトイレですが、時には生死隣り合わせの任務で、不完全なトイレはふと笑いを起こさせるなど、宇宙飛行士や地上管制官のリラックス効果に一役買っているのかもしれません。
乾燥、防音、防臭、自動開閉便器、暖房便座、湯温度調整、洗浄に使う水量を開発した日本のトイレの設計能力。日本の技術開発能力も、意外な分野で力を発揮する余地が残されているのではないかと感じずにはいられません。
(参考)
(1)「わたしを宇宙に連れてって 無重力生活への挑戦」メアリー・ローチ著(訳:池田真紀子)、NHK出版、2011年
(2)Waste Collector System Technology Comparisons for Constellations Applications, James Lee, Broyan, Jr., NASA Lyndon B. Johnson Space Center, NASA, 2007
(3)「宇宙でトイレにはいる法」ウィリアム・R・ポーグ著(訳:楠田枝里子)、筑摩書房、1987年
(4)「トイレのチカラ トイレ改革で社会を変える」第7章 宇宙…宇宙船のトイレを改善すれば、途上国のトイレも良くなるのか、上幸雄著、近代文藝社、2015年
(5)How to Build Your Own Sapceship: The Science of Personal Space Travel, Piers Bizony, Portobello Books Ltd, 2008
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