宙畑 Sorabatake

宇宙ビジネス

月に龍が住む!?月の地図づくりの歴史とアポロ計画との関係

アポロ11号の月面着陸50周年を記念した連載企画の第6回目では、人類が月面着陸する300年も前から行われていた月の地図づくりの歴史を振り返ります。ある地点から目的地に辿り着くまでには、航法(ナビゲーション)で使う地図が必要不可欠です。月面着陸するためには、どのような地図が必要だったのでしょうか。

ヨーロッパにおける月の地図づくり
日本人の名前がついた地名も!月の地形の命名法
未知なる月の裏側
アメリカの月面着陸に向けた準備
アポロ計画での月面着陸候補地の選定
アポロ計画で宇宙飛行士とミッションコントロールが使った地図

アポロ11号の月面着陸50周年を記念した連載企画の第6回目では、人類が月面着陸する300年も前から行われていた月の地図づくりの歴史を振り返ります。ある地点から目的地に辿り着くまでには、航法(ナビゲーション)で使う地図が必要不可欠です。月面着陸するためには、どのような地図が必要だったのでしょうか。

ヨーロッパにおける月の地図づくり

月の地図づくりには天体望遠鏡と写真術の発展がとても重要な役割を果たしました。月面観測は、望遠鏡が発明された1609年を境に大きく進展しました。そして、1839年、フランスのルイ・ダケールによる写真術の発展に伴い、19世紀末までリック天文台やパリ天文台の望遠鏡によって研究用の写真集が出版され、科学者は望遠鏡を覗かなくても月面の分析を進められるようになりました。

ヨーロッパで月の地図づくりが盛んに行われた理由は望遠鏡の発達もありますが、最大の目的は地球の経度の測定法を確立することでした。また、17~18世紀にヨーロッパで月面図が多数作られた理由は、当時は「月には生物が住んでいる」と信じられていたため、月の正確な地図を作る必要があったのです。

アポロ17号のユージン・サーナン宇宙飛行士は、かつて昔の地図製作者らがラテン語で「この先には龍が棲む(Beyond Here Be Dragons, HIC SVNT DRACONES)」などと書いた、地図上にまだ描写されていない未開の地(terra incognita)に入り月着陸船を月面に降下させたことを自伝で紹介しています。(*1)

ヨーロッパにおける主な月観測と月面図作成の歩みを表にまとめました。

表 ヨーロッパにおける月観測と月面図の主な功績(*2,3,4,5)

ポーランドのコペルニクス以来の偉大な天文学者と言われるヨハネス・へヴェリウスによって描かれた月面図を眺めてみましょう。さまざまな月の地図を考案し、月の地形学の創始者と言われています。月面図作成にあたっては、月の秤動(ひょうどう:月の自転運動が一定であることに対し、一様でない公転運動が組み合わさることによって東西にプラスマイナス約8度のずれが見える現象)も観測し、月の縁が二重に描かれているのが確認できます。

天文学者ヨハネス・へヴェリウスによる
『月理学(Selenographia)』に掲載された月面図 Credit : Smithonian.com

日本人の名前がついた地名も!月の地形の命名法

月の命名は、天文学者ヨハネス・へヴェリウスの後、イタリアの天文学者ジョバンニ・バッティスタ・リッチョーリと数学者フランチェスコ・マリア・グリマルディにより大幅に改訂されました。1969年、アポロ11号が月面着陸した「静かの海(Mare Tranquillitatis – the Sea of Tranquillity)」は、リッチョーリによって命名されたものでした。

表 主な月の地形の命名(*3)

18世紀になると同じクレーターに複数の名称が命名される事態が発生してしまいました。1934年、国際天文連盟(IAU)が月(表側)の672個の固有名を出版物『Named Lunar Formations』で決定しました。以降25年間に大きな変更はありませんでしたが、1966年になると名称が見直され、新たなカタログ『System of Lunar Craters』が発行されました。一方、月の裏側に関しては1961年に18の地名が命名されましたが、513の地名が決定される1967年まで、そのような膨大な作業は見送られていました。1994年、次なる命名法『Gazetteer of Planetary Nomenclature』が公表され、それ以降、IAUの有識者で構成される作業部会により改訂が幾度と検討されて現在に至っています。月面の地名には、Hirayama(平山)やHatanaka(畑中)など約10名の日本人名も含まれていますよ。他にどんなものがあるか、ぜひ調べてみてくださいね。

また、国立天文台の渡部潤一先生は、惑星系の命名や土地購入に関するビジネスの取引に関して、IAUがいっさい関与していないことをご紹介しています。IAUのとても素敵な方針ですね。

“Thus, like true love and many other of the best things in human life, the beauty of the night sky is not for sale, but is free for all to enjoy.” IAU

「夜空の美しさは、真実の愛、その他人生でもっとも価値のある多くのものと同様に、代金を払って手に入れるものではなく、すべての人が無料で享受すべきものである」国際天文連盟

未知なる月の裏側

小学生の理科の授業で、私たちが普段地球から見上げる月はいつも同じ面しか見せていないという事実を知って衝撃を受けた思い出はありませんか?月が地球を1周する間に、月も1回転しているため、普段私たちは月の表側しか見ていません。1959年10月7日、世界で初めて月の裏側の写真撮影に成功したのはソ連の月探査機ルナ3号でした。このミッションにより、縮尺500万分の一の月面図が製作されました。

月の裏側の初撮影 Credit : NASA

当時、ソ連で発行された記念切手を見てみましょう。切手の外枠には「惑星間ステーションから撮影した月の裏側」と書かれています。月の裏側の地形に「モスクワの海」や「夢の海」が新たに命名されました。また、クレーターの名称には、「宇宙旅行の父」と呼ばれる「ツィオルコフスキー」、マリー・キュリー夫人の娘の夫で人工放射性同位元素の合成でノーベル化学賞を受賞した「(フレデリック)ジョリオ・キュリー」の名が付けられています。(*6)キュリー夫人の発見したラジウム鉱石の放射線研究のおかげで、ノーベル物理学賞を受賞した科学者ヴィクトール・フランツ・ヘスは宇宙からやってくる放射線、つまり宇宙線を発見しました。人が宇宙に滞在する際、宇宙線による放射線被ばくは避けられません。切手のクレーター名を確認することで、どのような科学的功績が強調されているか伝わってきますね。

月の裏側撮影の記念切手 Credit : (左)Cherrystone、(右)sorabatake

アメリカの月面着陸に向けた準備

人類が月に進出することが本格的に検討されるようになると、NASA、空軍航空図情報センター(ACIC: U.S. Air Force Aeronautical Chart and Information Center)、陸軍地図局(AMS: Army Map Service)、アメリカ地質調査所(USGS: United States Geological Survey)などの協力体制のもと、組織的に月の地図の製作が行われるようになりました。写真測量法による月面図の作成は1878年、J. F. ユリウス・シュミットによって大きく進展しましたが、無人探査機を月に送ることで地図の精度もどんどん向上していきました。探査機のみならず、アメリカのアリゾナ州にあるローウェル天文台の火星観測用の屈折望遠鏡(口径60cm)なども月に向けられ、月観測専用の望遠鏡も建設されました。(*3)アポロ計画では月の地形図に加え、地質図や重力分布図など、さまざまな投影法、縮尺、区画、等高線の間隔で月の地図が作成されました。

ソ連は1959-1976年にわたって、「ルナ計画」と称して24機の無人探査機を月に送りました。一方、アメリカは月の地図製作と地質調査などを目的に、月に衝突するまでの写真を撮影する「レインジャー計画」、月面に軟着陸する「サーベイヤー計画」、月を周回する「ルナ・オービター計画」を実施しました。無人探査機の月面への軟着陸が成功したのは、ソ連は1966年2月のルナ9号、アメリカは同年8月のオービター1号でした。月着陸船を設計する上で、軟着陸で月面の物理的特性を把握することはとても重要でした。

ルナ・オービター計画は、写真データの他にも、月の重力分布、隕石、放射線などのデータを技術者や科学者に提供しました。月の重力分布の観測データが得られたことにより、今までは月面図で地球から見た月面の中心に座標系の中心を合わせていたものを、月の質量の中心に結びついた座標系が用いられるようになったことが大きな変化でした。

アメリカの月探査機とその成果の表をご覧ください。失敗と成功を繰り返しながら、七転び八起きで計画が進められていたことが伝わってきますね。

表 アメリカの月探査機と成果(*7)

写真を使った月の地図づくりの難しさは、写真の明るさが撮影日時によって異なり、地形の勾配が判断できないことにありました。この課題に対して技術者は、コンテストを開催したり、測光学を取り入れたりすることで改善していきました。

アポロ計画において、月の写真地質図作成で大活躍したのが地質学者ユジーン・シューメーカーです。彼はアポロ計画に携わる前、隕石や核実験でできたクレーターの研究をしていました。アポロ宇宙飛行士の候補者でもありましたが、残念ながら健康上の理由で月に行くことはありませんでした。しかし!亡くなった翌年、彼の遺骨は米月探査機ルナ・プロスペクターによって月に置かれたのでした。偉大な功績を残し、意外な方法で夢が叶い、月に辿り着いた稀有な人物です。(*8)

地質学者ユジーン・シューメーカーと月面図 Credit : AIRSPACEMAG.COM

アポロ計画での月面着陸候補地の選定(*9)

1961年、NASA副長官ホーマー・ニューウェルの依頼により、重水素発見の功績でノーベル化学賞も受賞したハロルド・ユーリーは月探査にふさわしい場所の相談を受けました。回答として挙げたのが、低温で水が存在するかもしれない高緯度地域、巨大クレーターのなか、濃い色の玄武岩で覆われた月の平原である“月の海”、山脈付近などでした。しかし、月面着陸地の選定には、科学的関心事項に加え、その他の制約事項も考慮する必要がありました。

(制約事項)
・月面の地形と地質
・月着陸船の誘導と航法システム
・太陽の高度
・月面温度
・放射線
・宇宙船の打上げと帰還時を考慮した地球の日照

これらの制約に加え、最も重視されていたのがフリーリターン(free-return)軌道を確保できることでした。機械船のメインエンジンが故障して、宇宙船を月面着陸の軌道にのせられなかった際、宇宙船が月を周回だけして地球に帰還することを念頭に置く必要がありました。

月面着陸の経度を決めるには、(1)地文航法の可否と(2)太陽の高度(月面温度)がとても重要でした。第一に、地文航法の目印は誤差450メートル以内でなければなりませんでした。しかし、1963年半ばにあった月面図をもっても、月面の東西では1800メートルもの誤差が想定されていました。第二に、太陽の高度は水平線から15-45度の時間帯が最適だと判断されていました。この2つの要素を考慮すると、「打ち上げの窓」はひと月に2・3日しかありませんでした。

8つの月面着陸候補地(セットB) Credit : NASA
5つの月面着陸候補地(セットC) Credit : NASA

サーベイヤー計画では、既存の地図と望遠鏡の観測により、40箇所の着陸候補地がありました。審査委員会は40箇所のうち14箇所を認め、さらにミッションの考察を進め、有人月面着陸の候補地を絞っていきました。次第に「アポロゾーン(Apollo Zone)」が決定されました。これは、月の東経・西経は45度、北緯・南緯は5度まで、縦に約350キロメートル、横に約3150キロメートル広がった地帯のことを指しました。アポロゾーン9箇所全ての候補地の撮影に成功したのはオービター1号でした。1967年3月、8つの候補地(セットB)が提示され、12月にはセットBからさらに5つの候補地(セットC)に絞り込まれました。5つの候補地は、静かの海(Mare Tranquilitatis)、中央の入江(Sinus Medii)、嵐の大洋(Oceanus Procellarum)などが該当しました。

これらの候補地は、万が一ロケットや宇宙船に異常が発生し、打ち上げが最大66時間延期となった場合、誤差が大きい月の東部に着陸せざるを得なく、宇宙飛行士も異なる3つの着陸アプローチと地形を把握していなければなりませんでした。あらゆるシナリオを考えなければならないミッションの大変さが伝わってきます。

アポロ計画で宇宙飛行士とミッションコントロールが使った地図

月面地形図は月面着陸地の選定のみならず、宇宙飛行士のフライトシミュレーター訓練でも使われました。例えば、ラングレー研究所では、月の周回軌道からの月の眺めを再現する複雑怪奇なLOLA(Lunar Orbiter and Let-Down Approach)が用意されました。月の周回を模擬するため、トロッコが走れるような線路が球体の周りに敷かれていました。ただ、実際はあまり使われなかったそうな…。

LOLAシミュレーターと技術者による地形確認の様子(1965年8月1日撮影) Credit : NASA photo no. L-65-5579

アポロ11号が月面着陸した際、地質学者ユジーン・シューメーカー含め、ミッションコントロールでは月面図作成の威信を賭けて、即座に着陸位置の特定も行われました。その位置は、北緯0度41分15秒、東経23度25分45秒でした。

アポロ計画で最もよく使われた地図は、縮尺が275万分の一のメルカルトル式月面図で、北緯、南緯ともに40度の範囲のものでした。宇宙飛行士と地上からの管制を担うミッションコントロールは他にも、月の軌道から見た場合の予想月面図(座標と宇宙船の予定軌道が描かれている)や月面への着陸経路に沿った月面の地形図(陸標となるクレーターが念入りに記入されている)などの地図を参考にしました。月面探査時に宇宙飛行士は、はじめに縮尺10万分の一で大体の位置を確認し、次に縮尺5000分の一の月面図を頼りに月を探検していました。(*5)

目的地に辿り着くためには、地図が必要不可欠です。地図づくりがアポロ計画を支えたと言っても過言ではありません。現在、世界では火星の観測と地図製作も着々と進んでいます。私たちはこれからどのような宇宙像を再び新たに発見し、どのような地図を描いていくのでしょうか?そんな壮大なストーリーに思いを馳せるのもワクワクしますね。

(参考)
(1)The Last Man on the Moon: Astronaut Eugene Cernan and America’s Race in Space, Eugene Cernan, Don Davis, Griffin, 2000 (p.316)
(2)「天空の地図-人類は頭上の世界をどのように描いてきたのか」、第2章 月の地図、アン・ルーニー著、鈴木和博著、日経ナショナル・ジオグラフィック社、2018年
(3)「月のきほん」、白尾元理工著、株式会社誠文堂新光社、2017年
(4)「月の本」、林完次著、株式会社角川書店、2000年
(5)「地図を作った人びと-古代から観測衛星最前線にいたる地図製作の歴史」第24章 地球の外に目を向ける-月面図、ジョン・ノーブル・ウィルフォード著、鈴木主税訳、1988年、河出書房新社
(6)The Women of the Moon: Tales of Science, Love, Sorrow, and Courage, Daniel R. Altschuler, Fernando J. Ballesteros, Oxford University Press, Jul 4, 2019
(7)「月の科学ー「かぐや」が拓く月探査」、青木満、ベレ出版、2008年
(8)「月 人との豊かなかかわりの歴史」、ベアント・ブルンナー著、山川純子訳、株式会社白水社、2012年
(9)・Where No Man Has Gone Before -A History of Apollo Lunar Exploration Missions-, William David Compton, The NASA Historical Series, NASA SP 4214, 1989

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